東王寺。鎌倉幕府最後の将軍守邦親王が寓居
東王寺の概要
天台宗寺院の東王寺は、伽羅陀山地蔵院と号します。東王寺の創建年代等は不詳ながら、義海が開山したと伝えられます。当地名「古寺」について、「埼玉の神社(上古寺氷川神社項)」では、「貞観二年(八六〇)二月に左大臣清原晏世卿為公が勅使として郡司宣下の折、慈光寺の寺領・境界を定めた際に、この地には慈光寺以前に古い寺(大講堂)があったので古寺村と名付けた」と記し、その古い寺が当寺だとしています。また、鎌倉幕府最後の将軍守邦親王は慈光寺へ逃れた際、慈光寺の末寺である当寺へ身を寄せたと伝えられ、古い寺が東の王の意から東王寺と称するようにあったともいいます。なお当寺裏山の山頂には畠山重忠の首塚があるそうです。
山号 | 伽羅陀山 |
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院号 | 地蔵院 |
寺号 | 東王寺 |
本尊 | 地蔵菩薩像 |
住所 | 比企郡小川町上古寺756 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東王寺の縁起
東王寺の創建年代等は不詳ながら、義海が開山したと伝えられます。当地名「古寺」について、「埼玉の神社(上古寺氷川神社項)」では、「貞観二年(八六〇)二月に左大臣清原晏世卿為公が勅使として郡司宣下の折、慈光寺の寺領・境界を定めた際に、この地には慈光寺以前に古い寺(大講堂)があったので古寺村と名付けた」と記し、その古い寺が当寺だとしています。また、鎌倉幕府最後の将軍守邦親王は慈光寺へ逃れた際、慈光寺の末寺である当寺へ身を寄せたと伝えられ、古い寺が東の王の意から東王寺と称するようにあったともいいます。なお当寺裏山の山頂には畠山重忠の首塚があるそうです。
新編武蔵風土記稿による東王寺の縁起
(上古寺村)
東王寺
天台宗、平村慈光寺の末、伽羅陀山地蔵院と號す、開山の僧義海、本尊地蔵を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
「小川町の歴史別編民俗編」による東王寺の縁起
東王寺(上古寺七五六)
東王寺は、伽羅陀山地蔵院と号し、天台宗に属する寺院である。江戸時代は、平村(現都幾川村慈光寺の末であった。本尊は地蔵菩薩である。現在の堂宇は、明治元年の火災で焼失したのち、再建されたものである。
寺歴について、開山は義海と伝えられるが、詳しいことは不明である。また、口碑によれば、元弘三年(一三三三)に鎌倉幕府が減亡したことにより、最後の将軍となった守邦親王は一旦京都に逃れた後、慈光寺に逃れ来て、山麓にあるこの東王寺に身を寄せて亡命の歳月を送ったと伝えられ、東王寺から氷川神社に通じる道の途中にある金膳塚は、親王の使った金の膳を埋めた所といわれている。
なお、寺の裏山の頂は、畠山重忠の首塚がある。(「小川町の歴史別編民俗編」より)
東王寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「小川町の歴史別編民俗編」