熊野神社。熊野神社古墳上に鎮座
熊野神社の概要
熊野神社は、桶川市川田谷にある神社です。熊野神社の創建年代などは不詳ながら、天長6年(829)創建と伝えられる東光寺が当社を勧請したのではないかといいます。年不詳ながら、明治維新後に日枝社・神明社を合祀しています。当社の鎮座地は直径38m、周溝幅14~16mの円墳上で、埼玉県最古の古墳とされ、円墳から出土した遺構は、国の重要文化財に指定されています。
社号 | 熊野神社 |
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祭神 | 伊弉冉命 |
相殿 | 大山咋命、天照大御神 |
境内社 | - |
祭日 | 春祭3月18日、秋大祭11月23日 |
住所 | 桶川市川田谷348 |
備考 | - |
熊野神社の由緒
熊野神社の創建年代などは不詳ながら、天長6年(829)創建と伝えられる東光寺が当社を勧請したのではないかといいます。年不詳ながら、明治維新後に日枝社・神明社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による熊野神社の由緒
(川田谷村)熊野社
東向寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による熊野神社の由緒
熊野神社<桶川市川田谷三四八(川田谷村楽下)>
川田谷は荒川右岸の自然堤防上に位置し、地名は川の端の地であることに由来するという。中世の河田郷に比定される。古くから古墳が多く存在する所として知られ、その内の一つである熊野神社古墳と呼ばれる円墳(最大径三〇メートル・高さ六メートル)の上に当社は鎮座する。
当社は『風土記稿』川田谷村の項に「熊野社 東向寺持」と載り、当時は天台宗東光寺が別当であった。東光寺は村内泉福寺の末寺で、寺伝によれば天長六年(八二九)慈覚大師により開基されたという。
また、かつての氏子区域の小名である「薬師堂」は地内の薬師堂の名にちなむものである。『風土記稿』に「薬師は慈覚大師の作にて座像長一尺余、東光寺の持」と記される。恐らくは、この薬師と共に当社は、東光寺の僧によりこの地に勧請されたのであろう。
『明細帳』に「往古ハ東光寺持ニ日枝社、神明社アリシガイツノ頃カ(当社に)合祀シタリト云伝フ」とあり、現在の祭神は伊弉冉命と並び大山咋命(日枝社)と天照大御神(神明社)となっている。
かつての当社は小さな木の祠で、周囲には杉や欅の大木が多数生え、盛り土の高さも現在の社殿の屋根位まであった。昭和三年にこの祠を改築するに当たり、盛り土を掘削したところ粘土槨が発見され、中から勾玉や紡錘車など多数の遺物が出土した。これらは大変貴重な資料であるため、昭和二十三年に国指定重要文化財となっている。(「埼玉の神社」より)
熊野神社所蔵の文化財
- 熊野神社古墳(埼玉県指定史跡)
熊野神社古墳
熊野神社古墳は、川田谷地域の荒川沿いに多く分布する古墳の1つで、河川交通上野重要な位置にあります。
墳形は円墳で、昭和59年度に行われた調査によって、直径38m、高さ6~6.5m、周溝の幅14~16mであることが確認されました。
年度槨(粘土で棺を覆って安置したもの)と想定されている埋葬施設は、昭和3年、墳頂部の社殿改修の際、偶然に発見され、玉類、石製品類、筒形銅器など、畿内の古式古墳と共通する多くの副葬品が出土しました。当時の出土遺物は国の重要文化財に指定され、現在は埼玉県歴史と民俗の博物館で保管展示されています。また桶川市歴史民俗資料館では複製品を展示しています。
出土した遺物などからみて、古墳の年代は4世紀後半ごろと推定され、埼玉県内では比較的古い時期に築造された古墳と考えられています。(埼玉県教育委員会・桶川市教育委員会掲示より)
熊野神社の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)