小針領家三仏堂。薬師寺の観音堂を引き移した御堂
小針領家三仏堂の概要
真言宗智山派寺院の小針領家三仏堂は、と号します。小針領家三仏堂の創建年代等は不詳ながら、かつて近隣にあった薬師寺境内から、元文年間(1736-1741)頃に阿弥陀・薬師・観音の三尊が当地へ遷され、三仏堂(新編武蔵風土記稿では阿彌陀堂)と称されていたといいます。明治維新後に薬師寺は廃寺となり、薬師寺の観音堂を当地へ遷して、三仏堂は取り壊したと伝えられます。薬師寺の観音堂は足立坂東観音霊場7番でした。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
住所 | 桶川市小針領家 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
小針領家三仏堂の縁起
小針領家三仏堂の創建年代等は不詳ながら、かつて近隣にあった薬師寺境内から、元文年間(1736-1741)頃に阿弥陀・薬師・観音の三尊が当地へ遷され、三仏堂(新編武蔵風土記稿では阿彌陀堂)と称されていたといいます。明治維新後に薬師寺は廃寺となり、薬師寺の観音堂を当地へ遷して、三仏堂は取り壊したと伝えられます。薬師寺の観音堂は足立坂東観音霊場7番でした。
新編武蔵風土記稿による小針領家三仏堂の縁起
(小針領家村)
薬師寺
新義眞言宗、倉田村明星院門徒、法界山と號す、本尊薬師は弘法大師の作なりと云、
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阿彌陀堂
この堂古は今の薬師寺のある所にありしを、何の頃か今の地へ移せりと云、或は元文年中移せし由も傳ふれど詳ならず、薬師寺持、(新編武蔵風土記稿より)
桶川市史文化財編による小針領家三仏堂の縁起
記載なし(桶川市史文化財編より)
小針領家三仏堂の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」