八王子神社。さいたま市中央区八王子の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

八王子神社。比叡山で守護神と祀っている八王子権現を当地に奉斎

八王子神社の概要

八王子神社は、さいたま市中央区八王子にある神社で、与野浅間神社と同境内にあります。八王子神社の創建年代等は不詳ながら、『融通念仏縁起』(京都清涼寺所蔵)によれば、正嘉年間(1257-59)のころ「全国的に疫病が流行した時、与野郷のある名主が、念仏を修し、家内の老若男女もろともに疫病を免れた」といい、比叡山で守護神と祀っている八王子権現を当地に祀られたのではないかといいます。江戸時代には八王子村の鎮守となっていた他、明治6年村社に列格していました。

八王子神社
八王子神社の概要
社号 八王子神社
祭神 田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野橡樟日命
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市中央区八王子1-7-11
祭日 -
備考 -



八王子神社の由緒

八王子神社の創建年代等は不詳ながら、『融通念仏縁起』(京都清涼寺所蔵)によれば、正嘉年間(1257-59)のころ「全国的に疫病が流行した時、与野郷のある名主が、念仏を修し、家内の老若男女もろともに疫病を免れた」といい、比叡山で守護神と祀っている八王子権現を当地に祀られたのではないかといいます。江戸時代には八王子村の鎮守となっていた他、明治6年村社に列格していました。

「埼玉の神社」による八王子神社の由緒

八王子神社(与野市八王子)
八王子の地名は当社の鎮座に由来している。
祭神は田心姫命・湍津姫命・市杵嶋姫命・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之穂日命・天津彦根命・活津彦根命・熊野橡樟日命の八柱である。また、創建については明らかでないが、『融通念仏縁起』(京都清涼寺所蔵)によれば、正嘉年間(一二五七〜五九)のころ「全国的に疫病が流行した時、与野郷のある名主が、念仏を修し、家内の老若男女もろともに疫病を免れた」と伝えている。融通念仏宗の宗祖良忍上人は、比叡山の堂僧であったが、永久五年(一一一七)に阿弥陀如来から直授を受けて以来、一人の念仏と万人の念仏が相即融通する融通念仏を創唱し、庶民の間に広めた。その比叡山では八王子権現を守護神として祀っている。このようなことから、当社の創建は、中世に融通念仏を当地に広めた修験者によって念仏宗にゆかりのある比叡山から勧請されたことが推測される。
社蔵の棟札には「(梵字)奉修理八王子権現一社(中略)享保五庚子(一七二〇)霜月十日別当東覚院寛清代」とある。東覚院は、本山派修験中尾村玉林院配下で、寛永年間(一六二四-四四)に当地へ土着し、その後別当となった。神仏分離で同院は復飾し、鯰江義寛を名乗り神職となった。その後、祀職は神山家が二代にわたって務め、昭和三十九年ごろから青田家が引き継いだ。なお、当社は明治六年に村社に列した。(「埼玉の神社」より)

新編武蔵風土記稿による八王子神社の由緒

(八王子村)八王子権現社
村の鎮守なり、村名に此社號を用ゆるほどなれば、古き勧請なるべけれど、すべて其傳を失ふ、村民持
末社。山王社、天神社、不動堂。(新編武蔵風土記稿)


八王子神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)