上町氷川神社。さいたま市中央区本町東の神社、与野七福神の福禄寿
上町氷川神社の概要
上町氷川神社は、さいたま市中央区本町東にある神社です。上町氷川神社の創建年代等は不詳ですが、江戸期には小村田村と与野町の鎮守社だったといい、「扇の宮」と呼ばれていたといいます。与野七福神の福禄寿です。

社号 | 氷川神社 |
---|---|
祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | - |
境内社 | 火王子・神明・権現・八幡・天神・稲荷、又倶稲荷、市神、八雲 |
住所 | さいたま市中央区本町東6-7 |
祭日 | - |
備考 | 与野七福神の福禄寿 |
上町氷川神社の由緒
上町氷川神社の創建年代等は不詳ですが、江戸期には小村田村と与野町の鎮守社だったといい、「扇の宮」と呼ばれていたといいます。
新編武蔵風土記稿による上町氷川神社の由緒
(與野町)氷川社
小村田村と當所の接地にて則兩所の鎮守なり、社地扇子の形に似たるをもて、土人扇の宮と唱へり、小村田村在林寺持。
末社。太神宮、天神社、稲荷社、大黒社。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による上町氷川神社の由緒
当社は、元は鎌倉街道であった与野本町通りの北端に、樹齢五百年余の棒や杉の大木に周まれて鎮座する。社地が鳥居から本殿に向かって扇子を開いたような形をしていることから、古来「扇の宮」と呼ばれている。
『風土記稿』与野町の項には 「氷川社 小村田村と当所の接地にて則両所の鎮守なり、社地扇子の形に似たるをもて、土人扇の宮と唱へり、小村田村在林寺持」と記されている。これに見える在林寺は氷川山と号する真言宗の寺院であった。
境内地が旧与野町と旧小村田村の境に位置しているため、宝永五年(一七〇八) の社殿の再建の折には、境内林に対する入会の問題もかかわって、当社の管理をめぐり相論が起こったが、両町村の惣鎮守として小村田の在林寺が預かることで結着したという。現本殿はその際に造立されたものであるといわれ、本殿内には翌六年五月銘の両町村の氏子有志の名を連署した棟札が残されている。いわゆる手打ちの意味合いも込めたものであろう。
やがて、明治期になると、旧与野町では新たに天祖神社(旧神明社)が村社とされ、当社は旧小村田村の人たちによって維持されるようになり、現在に至っている。
なお、別当の在林寺は神仏分離を経て、明治四年に廃寺となった。(「埼玉の神社」より)
上町氷川神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)