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与野天祖神社。さいたま市中央区本町西の神社、与野七福神の寿老神

与野天祖神社の概要

与野天祖神社は、さいたま市中央区本町西にある神社です。与野天祖神社の創建年代等は不詳ですが、文政年間(1818-1830)の「与野町並絵図」に「神明山」と記載があり、江戸時代末期には祀られていたのではないかといいます。明治8年天祖神社として与野町の村社に列格したといいます。与野七福神の寿老神です。

与野天祖神社
与野天祖神社の概要
社号 天祖神社
祭神 大山祇命、国常立尊
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市中央区本町西1-14-14
祭日 -
備考 与野七福神の寿老神



与野天祖神社の由緒

与野天祖神社の創建年代等は不詳ですが、文政年間(1818-1830)の「与野町並絵図」に「神明山」と記載があり、江戸時代末期には祀られていたのではないかといいます。明治8年天祖神社として与野町の村社に列格したといいます。

「埼玉の神社」による与野天祖神社の由緒

当地は、中世与野郷に属したことが正和三年(一三一四)の『融通念仏縁起』から知られる。戦国時代の成立と推定される「市場之祭文写」には「足立郡与野市祭成之」と見え、このころから当地で市が開かれていたことが知られる。
『風土記稿』与野町の項によれば、地内を鎌倉街道(中山道脇往還)が通り、往還に沿って北から当町は上・中・下の三町に分かれていた。「氷川社 小村田村と当所の接地にて則両所の鎮守なり」と載る氷川社は、上町(註:上町氷川神社)に鎮座していた。
下町に鎮座する当社は、かつて神明社と称していたと伝え、『風土記稿』にはその名が見えないが、東隣に位置する円乗院所有の山林の中に鎮座していたといわれ、同寺の管理下にあったと考えられる。
文政年間(一八一八-三〇)の「与野町並絵図」(柏計助家所蔵)からは、両脇に家屋が立ち並ぶ鎌倉街道から西に入った田畑の中に「神明山」と書かれた当社が鎮座していた往時の様子がうかがえる。
元来鎮守であった氷川社(註:上町氷川神社)が、明治に入り小村田村の村社となったため、当社は明治八年に与野町の村社となった。これを機に名称を天祖神社と改めている。また、明治九年に当社境内を公園にしようという運動が地元住民の間で起こり、翌十年には当社並びに御嶽社・大国社の境内が県営の与野公園となった。(「埼玉の神社」より)


与野天祖神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿