与野大國社。円乗院の守り神として奉斎、旧称蔵王権現社
与野大國社の概要
与野大國社は、さいたま市中央区本町西にある神社です。与野大國社の創建年代等は不詳ながら、円乗院の守り神として祀られたとも伝えられ、江戸期には蔵王権現社と称されていたといい、明治初期に大国社と改めたのではないかといいます。

社号 | 大國社 |
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祭神 | 大国主命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市中央区本町西2-7 |
祭日 | - |
備考 | - |
与野大國社の由緒
与野大國社の創建年代等は不詳ながら、円乗院の守り神として祀られたとも伝えられ、江戸期には蔵王権現社と称されていたといい、明治初期に大国社と改めたのではないかといいます。
「埼玉の神社」による与野大國社の由緒
大国社(与野市本町西)
『明細帳』 に 「本社は先に権現と称すと云こと記されているように当社は古くから「権現様」と呼ばれ、文政七年(一八二四)ごろに描かれた「与野町並絵図」(柏計助家所蔵)にも、当社の杜のところに「ごんげん」 の文字が書かれている。このことから考えると、『風土記稿』、与野町の項に 「蔵王権現社」として載る社が当社のことと思われる。なお『風土記稿』には「大黒社」という社も見えるが、これは当社のことではなく、現在の八王子社のことである。
また、口碑によれば、当社は、地内にある円乗院の守り神として祀られた社であるともいう。更に、円乗院側にも、寺の隠居所として当社を設けたものらしいとの伝えがあるため、当社の創建には円乗院が深くかかわっていたことがうかがえる。ちなみに、円乗院は、建久年間(一一九〇-九九) に畠山重忠が道場村(現浦和市) に創建した真言宗の寺で、慶長年間(一五九六-一六一五)に当地に移され、近辺の諸相の新義真言宗の寺院の中核的存在となっていた。
明治に入ると当社は、神仏分離によって円乗院の管理を離れ、明治三年に本殿を、同十年に拝殿を再建した。明治初年にまとめられた「大宮組合神社細詳取調帳」 によれば、当社は 「権現社」となっているが、『郡村誌』では「大国社」 となっていることから、社名を改めたのは明治四、五年ごろのことと推測される。(「埼玉の神社」より)
与野大國社の周辺図
参考資料
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)