南下新井久伊豆神社。さいたま市岩槻区南下新井の神社

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南下新井久伊豆神社。さいたま市岩槻区南下新井の神社

南下新井久伊豆神社の概要

南下新井久伊豆神社は、さいたま市岩槻区南下新井にある神社です。南下新井久伊豆神社の創建年代等は不詳ながら、地内の福厳寺には室町時代の文書が残されていることから、当社もそのころには祀られていたのではないかといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治42年北神社(北辰神社・妙見社)、三島社を境内へ遷座しています。

南下新井久伊豆神社
南下新井久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 八幡、春日、天満宮、北神社、三島神社
住所 さいたま市岩槻区南下新井953
祭日 夏祭り7月10日、祭礼9月7日
備考 -



南下新井久伊豆神社の由緒

南下新井久伊豆神社の創建年代等は不詳ながら、地内の福厳寺には室町時代の文書が残されていることから、当社もそのころには祀られていたのではないかといいます。明治維新後の社格制定に際して明治6年村社に列格、明治42年北神社(北辰神社・妙見社)、三島社を境内へ遷座しています。

新編武蔵風土記稿による南下新井久伊豆神社の由緒

(下新井村)
久伊豆社
村の鎮守とす、玉蔵院持、社地に圍一丈餘なる松の神木あり、
末社。神明
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妙見社
三島社
此二社も玉蔵院持
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玉蔵院
新義眞言宗、末田村金剛院末、陽光山と號す、不動を本尊とす、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による南下新井久伊豆神社の由緒

久伊豆神社<岩槻市南下新井九五三(南下新井字番場)>
南下新井のほぼ中央に位置する当社は、大己貴命を祀り、氏子からは「鎮守様」「久伊豆様」と呼ばれ、親しまれている。
南下新井の地内には、天文十八年(一五四九)の太田資正の寺領安堵状ほか四通の中世文書を蔵していた福厳寺があり、当社も恐らく室町時代末には勧請されていたものと推測される。
当社に関する最も古い記録である『風土記稿』下新井村の項を見ると、「久伊豆社 村の鎮守とす、玉蔵院持、社地に囲一丈余なる松の神木あり、末社 神明」とある。玉蔵院は、不動明王を本尊とする真言宗の寺であったが、神仏分離の後は廃寺となった。その堂宇は集会所代わりに使われていたが、老朽化が甚だしくなったため、昭和四十七年に取り壊され、跡地に現在の社務所兼公民館が建設された。社務所兼公民館の中に安置されている不動明王立像は、玉蔵院の名残である。
『風土記稿』に記された「囲一丈余なる松の神木」については、現在はそれらしきものは見当たらず、定かではないが、昔は松・杉・樫などの樹木が茂り、その中に注連縄が張ってある大きな杉の木があったという。しかしこれらの大木は、戦争のため、昭和十二、三年ごろ軍に徴発され、現在も残っているのは、銀杏と市指定天然記念物となっている大きい柊だけである。(「埼玉の神社」より)


南下新井久伊豆神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)