小溝鷲神社。小溝を開発した中山和泉守が氏神として奉斎
小溝鷲神社の概要
小溝鷲神社は、さいたま市岩槻区小溝にある神社です。小溝鷲神社の創建年代は不詳ながら、中山昌幸家の先祖の中山和泉守が土着して小溝を開発、中山和泉守が氏神として祀ったといいます。

社号 | 鷲神社 |
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祭神 | - |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市岩槻区小溝642 |
祭日 | - |
備考 | - |
小溝鷲神社の由緒
小溝鷲神社の創建年代は不詳ながら、中山昌幸家の先祖の中山和泉守が土着して小溝を開発、中山和泉守が氏神として祀ったといいます。
新編武蔵風土記稿による小溝鷲神社の由緒
(小溝村)
鷲明神社
村の鎮守なり。
末社稲荷。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による小溝鷲神社の由緒
鷲神社<岩槻市小溝六四二(小溝字本)>
慈恩寺台地の東部に位置する小溝は、岩槻市郊外の農業地域の一角にある。この小溝の村は、「大尽」の屋号を持つ中山昌幸家の先祖の中山和泉守がこの地に土着して開いたと伝えられ、当初はわずか八軒の小規模な村であったという。中山和泉守の人物像についての詳しい伝えはないが、平家の落武者であったといわれる。
当社は、この中山和泉守が氏神として祀った神社であるといわれている。その創建の時期については定かではないが、小溝は中世には太田荘に属していたことと、太田荘の総鎮守は鷲宮町に鎮座する鷲宮神社で、その領内には鷲宮神社の分霊が多く祀られていることを考えるならば、当社もそうした分霊を祀る神社の一つであり、村の開発の時期や当社の創建の時期は、太田荘の開発の時期に重なると思われる。
江戸時代には小溝の開発も更に進み、化政期(一八〇四-三〇)には家数も五〇戸にまで増え、その地内は本村・新田・前島の三つの村組に分かれるようになった。当社は、そのうちの本村で祀っている神社で、『風土記稿』には「鷲明神社 村の鎮守なり、末社稲荷」と載っている。小溝では、実際は村組ごとに別々の神社を祀っており、村全体で祀る神社はないのであるが、本村が小溝の中で最も古い村組であるため、そこで祀る当社が村の鎮守として掲載されたのであろう。(「埼玉の神社」より)
小溝鷲神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)