黒谷久伊豆神社。さいたま市岩槻区黒谷の神社

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黒谷久伊豆神社。さいたま市岩槻区黒谷の神社

黒谷久伊豆神社の概要

黒谷久伊豆神社は、さいたま市岩槻区黒谷にある神社です。黒谷久伊豆神社の創建年代は不詳ながら、旧別当寺光善院が承応2年(1653)に創建していることから、江戸時代前期に村の鎮守として創建したのではないかと推測されています。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治43年には八幡神社、熊野神社、日枝社の合祀しています。

黒谷久伊豆神社
黒谷久伊豆神社の概要
社号 久伊豆神社
祭神 大己貴命
相殿 -
境内社 八幡神社、雷電社、稲荷神社
住所 さいたま市岩槻区黒谷1851
祭日 百万遍7月、祭礼7月19日、八幡様9月5日
備考 -



黒谷久伊豆神社の由緒

黒谷久伊豆神社の創建年代は不詳ながら、旧別当寺光善院が承応2年(1653)に創建していることから、江戸時代前期に村の鎮守として創建したのではないかと推測されています。明治維新後の社格制定に際し明治6年村社に列格、明治43年には八幡神社、熊野神社、日枝社の合祀しています。

新編武蔵風土記稿による黒谷久伊豆神社の由緒

(黒谷村)
久伊豆社
村の鎮守なり、光善院持、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による黒谷久伊豆神社の由緒

久伊豆神社<岩槻市黒谷一八五一(黒谷字本郷前)>
鎮座地の黒谷は、綾瀬川と元荒川に挟まれた岩槻台地上の中央部に位置している。地名の初見は慶長十七年(一六一二)の尾ケ崎村勝軍寺領の検地帳表紙に「武蔵国騎西郡黒谷之内尾ケ崎之郷」と見え、慶安二-三年(一六四九-五〇)の『田園簿』には「黒屋村」と載る。当村は宝暦六年(一七五六)まで岩槻藩領で、その後、幕府領となった。
当社について『風土記稿』黒谷村の項には「久伊豆社 村の鎮守なり、光善院持」とある。別当の光善院は、当村の真言宗普慶院の末寺で、その境内地は当社の東に隣接している。寺伝によれば、開山は承応二年(一六五三)である。光善院の本寺の普慶院は寛正四年(一四六三)に岩槻城内より当地に移転したという。更にその岩槻城は、築城以来、久伊豆神社を城及び城下町の惣鎮守として祀っていた。これらのことから、普慶院ゆかりの岩槻城内の久伊豆神社を当地の鎮守として分霊し、別当として光善院を建立したことが推測される。
明治初年の神仏分離により、当社は光善院の管理下を離れ、同六年三月に村社に列した。その後、同四十三年五月三十日に字八幡裏の八幡神社、字殿街道の熊野神社及び日枝社の三社の無格社を合祀した。
なお、本殿には筥に納められた幣帛が奉安されており、「天保二年(一八三一)二月二十日神祇伯雅寿王勧遷之」との墨書があることから、京都の白川家より受けたことがわかる。(「埼玉の神社」より)


黒谷久伊豆神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)