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土呂神明社。さいたま市北区土呂町の神社

土呂神明社の概要

土呂神明社は、さいたま市北区土呂町にある神社です。土呂神明社の創建年代等は不詳ながら、源義家の伝説に比定される杉の樹齢が約八百年だったことから中世の創建ではないかといいます。明治6年村社に列格、明治40年村内にあった字御嶽御嶽社(境内社三峯社)、字稲荷山稲荷社、字植嶽稲荷社(境内社神明社)、八雲社を合祀したといいます。

土呂神明社
土呂神明社の概要
社号 神明社
祭神 天照皇大神
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市北区土呂町2-83-1
祭日 -
備考 -



土呂神明社の由緒

土呂神明社の創建年代等は不詳ながら、源義家の伝説に比定される杉の樹齢が約八百年だったことから中世の創建ではないかといいます。明治6年村社に列格、明治40年村内にあった字御嶽御嶽社(境内社三峯社)、字稲荷山稲荷社、字植嶽稲荷社(境内社神明社)、八雲社を合祀したといいます。

新編武蔵風土記稿による土呂神明社の由緒

(土呂村)
御嶽社
村の鎮守にして稲荷・天神を配祀す、慶長五年地頭初鹿野傳右衛門信昌、甲州よりうつして造営せしよしの棟札あれば、古き鎮座なることしらる、村民持。
稲荷社
浄職院の持、下同じ。
神明社
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浄職院
水光山神前寺と號す、新義真言宗、植田谷本村林光寺末、阿弥陀を安ず。
天神社。(新編武蔵風土記稿より)

さいたま市掲示による土呂神明社の由緒

神明社は、土呂の字「神明」にあった浄職院持ちの社で、創建については明らかではありませんが、祭神は天照大神を祀っています。
明治の初めまでは、現在の本殿の南側に、西向きに建てられた小社であったといいます。明治六年(一八七三)土呂村の村社となり、同十三年に現在のように造営され、この時神楽殿も造られました。神楽殿は、神仏分離令によって明治五年に廃寺となった浄職院の長屋門を改造したものでした。
その後、同四十年には土呂の四社(御岳社・植竹稲荷社・稲荷山稲荷社・八雲社)をここに合祀しました。
戦前までは、毎年四月の祭日には、神楽殿で神楽や源太おどりが奉納されて賑い、地区民の年中行事の楽しみの一つであったといわれています。
なお、本殿西側には、源義家の箸立伝説で有名な杉の古木がありました。この古木は、埼玉県指定の天然記念物(土呂の大杉)として保護されてきましたが、樹齢がつきて立枯れ、昭和四十五年に姿を消しました。また、神楽殿も老朽化して戦後取払われました。(さいたま市掲示より)

「埼玉の神社」による土呂神明社の由緒

神明社<大宮市土呂町2-83(土呂字神明)>
当社は、大宮台地の東端に鎮座している。境内東側は低地で、江戸中期まで見沼が広がっていた。地名の「土呂」は、「瀞」と同じく静かに水をたたえる場所を示す語であることから、見沼に由来している。
創建年代は、史料がなく明らかではないが、中世展開した伊勢信仰により勧請されたものと思われる。また、境内に近年まであった杉の大木の年輪は約八百年であったことから、これを見ても古社であることが知られる。ちなみに時代は下るが、境内にある文政五年(一八二二)の庚申塔は、かつて土呂在家の道山と呼ばれる所にあり、当地では伊勢参りの旅に出発することを「鹿島立ち」といって、当社に参拝してから必ずここに立ち寄って出掛けたと伝えている。
別当は、『風土記稿』に、真言宗の水光山神前寺浄職院であると載る。同院は、明治初年の神仏分離後、同五年に廃寺となったが、このとき同院の長屋門を当社境内に移築、改造し、神楽殿とした。
明治六年四月、村社に列せられた。同十三年二月、本殿を改築し、拝殿を新築した。『明細帳』によると、同四十年五月、大字土呂字御嶽無格社御嶽社・同境内社三峯社、字稲荷山無格社稲荷社、字植嶽無格社稲荷社・同境内社神明社の五社を合祀した。
社領は、廃寺となった浄職院と合祀した五社の土地、田五反一畝と畑三反三畝八歩があったが、農地改革により失っている(「埼玉の神社」より)


土呂神明社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)