代山八幡社。代山城の守護神として祀られていた八幡神
代山八幡社の概要
代山八幡社は、さいたま市緑区代山にある神社です。代山八幡社の創建年代等は不詳ながら、綾瀬川の氾濫により、北東隣の高畑村から流れ着いたご神体を祀り創建したとも、(代山城跡のすぐ西に位置することから)城の守護神として祀られていた八幡神を村の鎮守としたのではないかともいいます。江戸期には代山村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格、明治41年に字後谷津の無格社厳島社を合祀しています。
社号 | 八幡社 |
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祭神 | 応神天皇 |
相殿 | 市杵島姫命 |
境内社 | - |
住所 | さいたま市緑区代山115 |
祭日 | - |
備考 | - |
代山八幡社の由緒
代山八幡社の創建年代等は不詳ながら、綾瀬川の氾濫により、北東隣の高畑村から流れ着いたご神体を祀り創建したとも、(代山城跡のすぐ西に位置することから)城の守護神として祀られていた八幡神を村の鎮守としたのではないかともいいます。江戸期には代山村の鎮守社として祀られ、明治6年には村社に列格、明治41年に字後谷津の無格社厳島社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による代山八幡社の由緒
(代山村)八幡社
村の鎮守なり。
末社。稲荷社二宇。
別當光福寺
新義真言宗、大門宿大興寺の門徒、八幡山と號す、本尊彌陀を安ぜり。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による代山八幡社の由緒
八幡社<浦和市代山一一五-一(代山字宮台)>
当地は芝川と綾瀬川に挟まれた大宮台地上に位置する。永禄六年(一六五三)「太田資正書状」に「たい山の内、てら山・たい野は」と載り、この地の開発が戦国時代までさかのぼることが知られる。地内には岩槻太田氏の家臣小久保縫殿助又は山田大隅が居住し、天正十八年(一五九〇)の岩槻落城と共に滅びたと伝わる代山城跡がある。
当社は日光御成街道に面して鎮座している。口碑によれば、いつのころか綾瀬川の氾濫により、北東隣の高畑村から御神体が流れ着きそれを村人が見付けて祀ったのが当社で、そのために高畑の人は今でも当社を参拝しているという。あるいは、代山城跡のすぐ西に位置することから、城の守護神として祀られていた八幡神が落城した後に村の鎮守となったとも考えられる。
『風土記稿』代山村の項には「八幡社 村の鎮守なり、末社、稲荷社二字、別当、光福寺 新義真言宗、大門宿大興寺の門徒、八幡山と号す、本尊阿弥陀を安ぜり」と記され、江戸後期の状況が知られる。
別当の光福寺は当社の東に隣接して建っていたが、明治初年の神仏分離により当社の管理を離れ、寺子屋を営んだという。その後、焼失して廃寺となった跡地に野田小学校が建設された。『明細帳』によれば、当社は明治六年に村社となり、同四十一年に字後谷津に鎮座する無格社厳島社を合祀した。(「埼玉の神社」より)
代山八幡社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)