重殿社。さいたま市緑区中野田の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

重殿社。蔵王殿の転訛・水殿(スウドノ)の転訛

重殿社の概要

重殿社は、さいたま市緑区中野田にある神社です。重殿社の創建年代等は不詳ながら、隣接する明照寺が元和元年(1615)中興する際、当社の別当として重殿山と号したころから、それ以前より祀られていたことがわかるといいます。

重殿社
重殿社の概要
社号 重殿社
祭神 日本武尊
相殿 -
境内社 愛宕社、稲荷二社、大六天社
住所 さいたま市緑区中野田1671
祭日 -
備考 -



重殿社の由緒

重殿社の創建年代等は不詳ながら、隣接する明照寺が元和元年(1615)中興する際、当社の別当として重殿山と号したころから、それ以前より祀られていたことがわかるといいます。境内社の愛宕神社は、春日景定の弟與兵衛宗定が小田原北条の役に際して軍功を立てたことから、一族の守護神として天正19年(1591)に祀ったものだといいます。

新編武蔵風土記稿による重殿社の由緒

(中野田村明照寺内)重殿権現社。
村の鎮守なり、當社は舊くより此にありて重殿山と唱へしが、當寺中興の時今の如く構の内となし、これをもて山號ともなせり、されど社の四方自ら別に境をなして分てり、本社の傍に天神及び稲荷の小社あり。
愛宕社。天正十九年三月廿四日の勧請なり、社も元は境外にありしが、當寺構をひろげしとき、境内に入りしと云、されどこれも自ら一の構をなし、門をも別に開けり。愛宕は春日氏代々軍中の守護神とす、天正年中岩槻合戦の時、景定の弟與兵衛宗定、軍中にて持たる鎗を敵に奪れければ、是を大に恥てこの権現に祈念し、翌日の戦に亂軍の中に入、大に功をあらはし、我鎗を奪返りしと、故に此神の靈験を感じ、社を建て祟め祀りしと云。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による重殿社の由緒

重殿社<浦和市中野田一六七一(大字中野田字嶋ノ前)>
中野田の地名は湿地を意味するヌタに由来するという。当社は、『風土記稿』中野田村の項に、曹洞宗明照寺の境内に「重殿権現社」と載り、「村の鎮守なり、当社は古くからありて重殿山と唱へしが、当寺中興の時今の如く構の内となし、これをも山号となせり、(以下略)」とある。明照寺については、当地を領していた春日八郎景定が、側室の月宮院慶誉明正の追福のために中興したと伝わることから、当社は、景定が没したという元和元年(一六一五)以前には、既に祀られていたことがわかる。
創建の由来については重殿が蔵王殿の転訛とされることから、明照寺にかかわった修験との結び付きがあったと考えられる。また、重殿は「水殿」(スウドノ)に通ずるともいわれており、低地に開かれた耕地が度々綾瀬川からの出水を被っていたため、川を鎮める神として祀られたことが推測される。
主祭神は日本武尊であるものの、本殿には、その経緯は明らかではないが、厨子に納めた騎乗の八幡大明神像が安置されている。その厨子の底部と裏面には、各々「御縁日十五日正常奉込弥陀如来守護所 遷宮勧請松翠欽白」「奉造立神体当寺五世翠岩桂造 享保十四年(一七二九)己酉五月十五日造工江戸白銀町佛師徳水」と記されている。
これに見える阿弥陀如来は八幡大明神の本地仏である。(「埼玉の神社」より)


重殿社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)