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大谷口氷川神社。さいたま市南区大谷口の神社

大谷口氷川神社の概要

大谷口氷川神社は、さいたま市南区大谷口にある神社です。大谷口氷川神社の創建年代は不詳ながら、大谷口村から分村した中尾・広ヶ谷戸・道祖土・柳崎を含んだ鎮守社であることから、古くよりの鎮座ではないかといいます。慶安2年(1649)には社領10石の御朱印状を拝領、明治4年には村社に列格、明治41年稲荷社を境内に遷座したといいます。

大谷口氷川神社
大谷口氷川神社の概要
社号 氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 八幡社、稲荷社、十二所権現社、天照大神、天満宮、石神井社、大六天社、天満宮
住所 さいたま市南区大谷口2285
祭日 例大祭7月21日
備考 -



大谷口氷川神社の由緒

大谷口氷川神社の創建年代は不詳ながら、大谷口村から分村した中尾・広ヶ谷戸・道祖土・柳崎を含んだ鎮守社であることから、古くよりの鎮座ではないかといいます。慶安2年(1649)には社領10石の御朱印状を拝領、明治4年には村社に列格、明治41年稲荷社を境内に遷座したといいます。

新編武蔵風土記稿による大谷口氷川神社の由緒

(大谷口村)
氷川明神社
中尾・廣ヶ谷戸・道祖土・柳崎四村の鎮守なり、御朱印十石は村内及び柳崎村にて賜れり。
末社。三神社、天神社。
別当安楽寺。天台宗、仙波中院の末、養壽山觀明院と號す、本尊は彌陀を安ず。
熊野権現社
村民の持
十二社権現社
中尾村明音院の持なり
稲荷八社
一は明音寺持、一は村内一乗院持、のこれる六社は村民持。
神明社
中尾村西林坊持
八幡社
石神社
ともに福聚院持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大谷口氷川神社の由緒

氷川神社<浦和市大谷口二二八五(大谷口字向)>
当社は大宮台地浦和支台の北端に祀られており、その北方の低地にはかつて湿地帯が広がっていた。
『風土記稿』によれば、大谷口村は、中尾・広ヶ谷戸・道祖土・柳崎の四か村も含んで一村をなしていたが、元禄年間(一六八八~一七〇四)にそれぞれ分村したという。当社はこの五か村の鎮守として崇敬され、慶安二年(一六四九)には朱印地一〇石を拝領していることから、分村以前から祀られていたことがわかる。本社である武蔵一宮氷川神社は、正保期(一六四四~四八)の古図を見ると、広大な見沼を望む高鼻と呼ばれる高台の鬱蒼とした杜の中に鎮座しており、当社もこれに倣って湿地帯を望む高台の地に奉斎されたことは想像に難くない。
『風土記稿』大谷口村の項には「氷川明神社 中尾・広ヶ谷戸・同祖土・柳崎四村の鎮守なり、御朱印十石は村内及び柳崎村にて賜れり末社三神社、天神社、別当安楽寺 天台宗、仙波中院の末、養寿山観明院と号す、本尊は弥陀を安ず」と記されている。安楽寺住職の末裔である野口吉明家所蔵の文書によれば、安楽寺は文久二年(一八六二)に無住となり、本山の学僧であった徳王房順盛を留守居とし、同四年(一八六四)に住職とした。順盛は神仏分離後、還俗して名を野口耀と改め、当社の祀職となり、当社は明治四年に村社に列した。(「埼玉の神社」より)


大谷口氷川神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)