関神明神社。神明山東福寺の守護として創建
関神明神社の概要
関神明神社は、さいたま市南区関にある神社です。関神明神社の創建年代は不詳ですが、神明山東福寺の守護として祀られたのではないかといいます。明治維新後に八幡社・春日社・天王社・天神社を合祀しています。

社号 | 神明神社 |
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祭神 | 天照大御神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市南区関1-15-7 |
祭日 | - |
備考 | - |
関神明神社の由緒
関神明神社の創建年代は不詳ですが、神明山東福寺の守護として祀られたのではないかといいます。明治維新後に八幡社・春日社・天王社・天神社を合祀しています。
「埼玉の神社」による関神明神社の由緒
当社は、市域でも最大の規模(直径三三メートル、高さ四・五メートル)をもつ神明神社古墳と呼ばれる円墳の傍らに鎮座している。古墳を挟んで神明会館の東側には、明治四年に廃寺となった真言宗神明山東福寺の本堂が荒廃してあったが、後年現在地に民家を移築してその堂とし、更に昭和四十六年に檀家の人たちによって再建が果たされた。
『風土記稿』関村の項には「神社 天王社 村の鎮守なり、東福寺持、寺院 東福寺 新義真言宗、与野町円乗寺末、神明山と号す、本尊大日を安ぜり、神明社 八幡社 春日社 薬師堂」とあり、江戸期には天王社が村の鎮守で、当社は東福寺の境内社の一つであったことがわかる。神明山の山号と本尊大日如来が天照大神(神明社)の本地仏であることを考え合わせるに、当社は東福寺の守護神として祀られたことが推測される。また、八幡社と春日社の二社は、江戸時代に一般庶民にまで流布した三社託宣の影響により、既にあった神明社を中心として祀られたものであろう。
東福寺の開基については明らかでないが、境内地から正和四年(一三一五)の阿弥陀三尊種子板石塔婆が出土しているほか、墓地内には中世の宝筐印塔や板石塔婆の残欠が見られる。
明治に入って東福寺の管理下から離れた当社は、その後八幡社・春日社・天王社・天神社が合祀され、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による関神明神社の由緒
(関村)東福寺
新義真言宗、輿野町圓乗院末、神明山と號す、本尊大日を安ぜり
神明社、八幡社、春日社、薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
関神明神社所蔵の文化財
- 神明神社古墳(さいたま市指定史跡)
神明神社古墳
さいたま市西部は、古墳時代に数多くの古墳が造られた地域です。西部から南部に至る台地縁辺や自然堤防上には、古墳群がいくつも連なって分布しています。
この神明神社古墳は、周囲の低地を一望できる、細長い台地の最南端にあります。直径三三メートル、高さ四・五メートルの円墳で、市内でも有数の規模の古墳です。
古墳時代後期、六世紀後半から七世紀前半頃に造られたと考えられており、大部分が良好な状態で保存されています。(さいたま市教育委員会掲示より)
関神明神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)