東福寺。さいたま市南区関にある真言宗寺院
東福寺の概要
真言宗寺院の東福寺は、神明山と号します。東福寺の創建年代は不詳ですが、正和4年(1315)銘の板石塔婆を始めとして数多くの居板石塔婆などが残されていることから古くよりの存在が考えられます。明治4年に廃寺となったものの、檀家の人々により昭和46年再建したといいます。
山号 | 神明山 |
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院号 | - |
寺号 | 東福寺 |
住所 | さいたま市南区関1-10-11 |
宗派 | 真言宗 |
本尊 | 大日如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
東福寺の縁起
東福寺の創建年代は不詳ですが、正和4年(1315)銘の板石塔婆を始めとして数多くの居板石塔婆などが残されていることから古くよりの存在が考えられます。明治4年に廃寺となったものの、檀家の人々により昭和46年再建したといいます。
新編武蔵風土記稿による東福寺の縁起
(関村)東福寺
新義真言宗、輿野町圓乗院末、神明山と號す、本尊大日を安ぜり
神明社、八幡社、春日社、薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
東福寺所蔵の文化財
- 木造如来形坐像一軀(市指定有形文化財)
- 阿弥陀三尊種子板石塔婆一基(市指定有形文化財)
阿弥陀三尊種子板石塔婆一基
板石塔婆は、緑泥片岩などの石材に恵まれた埼玉県内には特に多く、市内だけでも七百基以上もあります。板石と乳母は鎌倉時代から室町時代にかけて、墓碑、供養塔として建てられたもので、石を平たくし、頂を三角形にし、梵字による種子で如来や菩薩を表わしています。
これは、東福寺の墓地内から出土したもので、全くの完形をとどめ、総高一二九センチ、幅三五センチ、厚さ三・二センチほどあり、天蓋の下に阿弥陀三尊の種子を刻み、下に正和四年卯乙卯月日とあり、左右に花瓶を配しています。正和四年四月に建立されたことが知られます。
制作も優れており、鎌倉時代末期の代表的な作例として保存価値が高いといえます。(東福寺・浦和市教育委員会掲示より)
東福寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」