猿ヶ谷戸八雲神社。さいたま市見沼区蓮沼の神社

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猿ヶ谷戸八雲神社。岩槻道から侵入疫病を防ぐために奉斎

猿ヶ谷戸八雲神社の概要

猿ヶ谷戸八雲神社は、さいたま市見沼区蓮沼にある神社です。猿ヶ谷戸八雲神社の創建年代等は不詳ながら、岩槻道を通って村に進入する疫病を防ぐため、その守護として祀られたといいます。

猿ヶ谷戸八雲神社
猿ヶ谷戸八雲神社の概要
社号 八雲神社
祭神 素戔嗚尊
相殿 -
境内社 -
住所 さいたま市見沼区蓮沼501
祭日 -
備考 -



猿ヶ谷戸八雲神社の由緒

猿ヶ谷戸八雲神社の創建年代等は不詳ながら、岩槻道を通って村に進入する疫病を防ぐため、その守護として祀られたといいます。

新編武蔵風土記稿による猿ヶ谷戸八雲神社の由緒

(蓮沼村)
天神社
神明社
以上二社を鎮守とす、正福寺持なり、以下三社持同じ
辨天社
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稲荷社二宇
第六天社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による猿ヶ谷戸八雲神社の由緒

八雲神社<大宮市蓮沼五〇一(猿ヶ谷戸字前田)>
当地は往古、南部を猿ヶ谷戸村、北部を蓮沼村と称していた。当社の鎮座する地は、この南部の猿ヶ谷戸村で『風土記稿』蓮沼村の小名猿ヶ谷戸の項には「猿ヶ谷戸村など唱へて、おのづから別村の如くに呼ぶ、此地の内にも内谷戸・外谷戸・中郷耕地などいへる字あり」と載せる。
鎮座地は「岩槻道」の側にあり、境内の「文政二年己卯(一八一九)十月吉日 蓮沼村内猿ヶ谷戸講中」が建立した馬頭観世音菩薩には、「この方ふかさく はらいちミち」「右いわつき 左をふミや 大山道」とある。古くから境内に樹木はなく、昭和四十五年に八雲会館ができる前は、山茅の茂る地であったという。
創建については、口伝に、昔、岩槻道を通って村に進入する疫病を防ぐため、その守護として街道側に社を勧請したと伝える。以来、天王祭りや獅子回しを行い、村人の無病息災を祈願している。
祭神は、『明細帳』に素盞嗚尊とある。
社殿は、一間社流造りの小祠で、小塚の上に祀られている。これは昭和二十四年十月、猿ヶ谷戸鎮守の神明神社末社の厳島神社を参考にして造営されたもので、氏子の大島徳太郎棟梁の作である、なお、旧本殿の造営は、弘化二年(一八四五)であったと伝える。
宮司は現在、武蔵一宮氷川神社の白石元彦が奉仕している。(「埼玉の神社」より)


猿ヶ谷戸八雲神社所蔵の文化財

  • 古い道と馬頭観音・庚申塔

古い道と馬頭観音・庚申塔

大宮と岩槻を結ぶ古い道沿いには、江戸時代の年号を刻んだ数多くの石造物を見ることができます。この道の幅約3.6mは、昔の道の標準的な幅で、今となっては狭く不便ですが地域の歴史や文化を知るうえでは大変貴重な道です。保存されている3つの石造物は、左の1つが馬頭観音、右が庚申塔で市内の古い道沿いには必ずといってよいほどに見ることができる貴重な歴史資料です。
左の馬頭観音は、江戸時代後期の文政2年(1819)に立てられ、右側面に「この方 ふかさく(深作)はらいち(原市)道」、左側面には「右いわつき(岩槻) 左をふみや(大宮) 大山道」と市内のみならず上尾市原市、岩槻市さらには庶民信仰の一つとして江戸時代中期から流行した大山詣で知られる神奈川県の大山阿夫利神社への方角が刻まれています。
右の庚申塔は、江戸時代中期の正徳6年(1716)に蓮沼の内の猿ケ谷戸地区の人々により建てられ、51年後の明和4年(1767)に色を塗って供養したことが記されています。庚申信仰が続いていた証でしょう。(さいたま市教育委員会掲示より)

猿ヶ谷戸八雲神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)