御蔵神明神社。さいたま市見沼区御蔵の神社
御蔵神明神社の概要
御蔵神明神社は、さいたま市見沼区御蔵にある神社です。御蔵神明神社の創建年代等は不詳ながら、中世には当地がこの辺りの中心地であったともいい、かつては大社で神領も有していたと伝えられます。江戸期には愛宕神社と共に村の鎮守として祀られ、明治6年には村社に列格していました。
社号 | 神明神社 |
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祭神 | 天照皇大神 |
相殿 | - |
境内社 | 稲荷、天神 |
住所 | さいたま市見沼区御蔵368 |
祭日 | - |
備考 | - |
御蔵神明神社の由緒
御蔵神明神社の創建年代等は不詳ながら、中世には当地がこの辺りの中心地であったともいい、かつては大社で神領も有していたと伝えられます。江戸期には愛宕神社と共に村の鎮守として祀られ、明治6年には村社に列格していました。
新編武蔵風土記稿による御蔵神明神社の由緒
(御蔵村・白岡村)神明社
以上(愛宕社と共に)兩社を村内の鎮守とす、共に村民の持なり、往古この神明は大社にして、神領も若干ありしと云傳ふ、
末社、稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による御蔵神明神社の由緒
神明神社<大宮市御蔵三六八(御蔵字神明脇)>
御蔵は、芝川左岸の大宮台地上に開けた村で、明治七年に白岡村を合併するまで、御蔵・白岡の両村は並記又は列記され、一村の扱いをされていた。これは、両村が余りにも入り組んでいて、村境が確定できないという理由による。
地名の由来は、当社が鎮座することから伊勢の御厨説・郷蔵説・土倉説等の諸説があるが、地内を浦和・岩槻を結ぶ鎌倉街道が通り、室町期の市を記した「市場之祭文写」に見える片柳の市も当地内にあった。今もその名残として「市道」と呼ばれる場所や市神の祠があり、中世には、当地がこの辺りの中心地であったことを物語る。口碑によると太田道灌の金蔵が「蔵の敷台」と呼ばれる所に建てられ、この蔵の火防の神として蔵の前に愛宕神社を祀ったと伝えている。ちなみにこの御蔵に由縁あるという錠殿社・鍵殿社が地内西部に祀られる。
『風土記稿』御倉村〇白岡村の項は愛宕社と神明社が村内の鎮守であることを記すが、更に神明社について「往古この神明は大社にして神領も若干ありしと云伝ふ、末社、稲荷社」とある。なお『郡村誌』に「神明愛宕合社」とあり、『明細帳』にも「往古ハ愛宕社一社アリシカイツノ頃カ合祭シタリト云伝フ」とあることから、幕末か明治の初めまでに当社へ愛宕社を合祀した形になっているが、実際には合祀が行われた形跡もなく、愛宕神社として祭りや氏子の信仰が続いている。(「埼玉の神社」より)
御蔵神明神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)