猿花稲荷神社。南中野の飛地である小名猿花の鎮守
猿花稲荷神社の概要
猿花稲荷神社は、さいたま市見沼区南中野にある神社です。猿花稲荷神社は、南中野の飛地である小名猿花の鎮守として宝永2年(1705)に奉斎したといいます。新編武蔵風土記稿では、小名猿花を、「猿鼻、前に辨ぜし(村の東三町餘を隔て大谷・新井・御倉・白岡・蓮神等の數村に挟まりて當村の飛地あり)飛地を呼ぶ。」とあります。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市見沼区南中野1148 |
祭日 | - |
備考 | - |
猿花稲荷神社の由緒
猿花稲荷神社は、南中野の飛地である小名猿花の鎮守として宝永2年(1705)に奉斎したといいます。新編武蔵風土記稿では、小名猿花を、「猿鼻、前に辨ぜし(村の東三町餘を隔て大谷・新井・御倉・白岡・蓮神等の數村に挟まりて當村の飛地あり)飛地を呼ぶ。」とあります。
新編武蔵風土記稿による猿花稲荷神社の由緒
(中野村)稲荷社
村持。(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による猿花稲荷神社の由緒
稲荷神社<大宮市南中野一一五三(南中野字新田)>
当社の鎮座する字新田は、南中野(旧中野村)の飛地で、古くから猿花と呼ばれている所である。この地名は、小石の多い台地の突端を意味する語であるという。ただし、地元では「猿」の字を「さる」と読むのは「去る」に通ずる忌み言葉として「やえんばな」と呼ぶ。『風土記稿』中野村の項には、鎮守の諏訪社と当社が共に村持ちの神社として載るが、当社は古くから猿花だけで祀ってきた社という。『明細帳』によると「宝永二年(一七〇五)二月十日京都妻恋御社より分神創立す安政五年(一八五八)十月一日関東廿八ヶ国の総司京都妻恋御社より正一位猿花稲荷大明神の地名官の許可を受く」とある。
内陣には、神璽が二体と狐の背に立ち稲把と鎌を手に持つ稲荷大明神像が奉安されている。それぞれには年紀が書かれていないが、神璽筥には墨書があり、一体には「正一位稲荷大明神安鎮 神主正四位下松本和泉守」と京都伏見稲荷の神主の名があるため、同社からの分霊であることがわかる。恐らくこれが宝永二年の「分神創立」を指すものと思われる。また、もう一体には、「正一位猿花稲荷大明神 璽」「関東廿八ヶ国稲荷総司妻恋御社 神主斎部宿祢守義」とある。これは江戸湯島(文京区湯島)の妻恋稲荷の神璽で、神主の「守義」は幕末に神主を務めていることから、この神璽は安政五年のものと思われ、明細帳記載時に混同があったものと考えられる。(「埼玉の神社」より)
猿花稲荷神社の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)