道場天満宮。畠山次郎重忠が草創した金剛寺の境内に創建
道場天満宮の概要
道場天満宮は、さいたま市桜区道場にある神社です。道場天満宮の創建年代は不詳ですが、金剛寺境内に古くから祀られていたといいます。

社号 | 天満宮 |
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祭神 | 素盞嗚尊 |
相殿 | 誉田別命 |
境内社 | 八重垣神社 |
住所 | さいたま市桜区道場3-15-3 |
祭日 | - |
備考 | - |
道場天満宮の由緒
道場天満宮の創建年代は不詳ですが、金剛寺境内に古くから祀られていたといいます。
境内掲示による道場天満宮の由緒
天神菅原道真公を祀神の道場天満宮
江戸時代後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」によると、このあたりに、昔、大伽藍(大きな寺院)がありましたが、保元の乱(一一五六)の兵火のために焼失し、その後建久年中(一一九〇年代)畠山次郎重忠が当地を領していたとき、土中から観音像を得、これがもとの大伽藍の本尊であったものと考え、守護仏とし、一宇の道場を営んだということです。
これが、この天満宮の北側にある金剛寺の草創(はじまり)といわれ、当地の地名「道場」もこれに由来するといわれています。
天満宮も古くから金剛寺の境内の一角にあったものと考えられています。天満宮の社殿の正面の飾木に金剛寺の紋所「いちょう」と天満宮の紋所「梅鉢」が表示されており、金剛寺が天満宮に深くかかわっていたことがうかがえます。
天神菅原道真公には、「元禄第三庚年(一六九〇)金剛寺住僧寛映修造」とあります。
明治時代まで、拝殿前にいちょうの老樹巨木がありました。乳房形状のものが垂れ下がっており、それを削って煎じて飲むとお乳の出がよくなるといわれ、近郷からの参詣者で賑わったとのことです(島崎豊作が聞いた古老の話)。天満宮にある文久二年(一八六二)の絵馬に、このいちょうの老木が描かれています。このいちょうは明治四十五年(一九一二)の台風で倒れてしまいしたので、乳房状のものを切り取って天満宮に保存しています。昭和の初期まで多くの人々に利用されたとのことです。
天満宮は、学問の神であり、安政四年(一八五七)の寺子屋風景を描いた絵馬が掲げられています。(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による道場天満宮の由緒
(道場村)金剛寺
新義真言宗輿野町圓乗院の末、安養山と號す、本尊正観音恵心の作なる同體の小像を腹籠とせり、相傳昔當所に大伽藍ありしに、保元の亂に兵火の為に烏有せり、其後建久年中畠山次郎重忠當所を領せしとき、土中より此像を得たり、是古大伽藍なりし時の本尊ならんとて守護佛となし、當寺を草創して安ぜりと、中興開山は賢明と云此僧本寺圓乗院をも中興して、元和五年十月十三日彼院に於て示寂なせり。
天神社。
阿弥陀堂。(新編武蔵風土記稿より)
道場天満宮の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)