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大久保神社。さいたま市桜区宿の神社

大久保神社の概要

大久保神社は、さいたま市桜区宿にある神社です。大久保神社の創建年代等は不詳ながら、南北朝期に当地を含む大窪郷を領していた安保直実・泰規氏の関係者が居住していた城館に近いことから、武神を奉斎したのではないかといいます。江戸期には八幡社と称して宿村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格、明治40年には同村の大字植田谷領在家の村社天神社と大字白鍬の村社氷川社を本殿に合祀、村名より大久保神社と改称したといいます。

大久保神社
大久保神社の概要
社号 大久保神社
祭神 多紀理比賣命、狭依比賣命(市杵島姫命)、多岐都比賣命
相殿 -
境内社 豊栄社、稲荷社、琴平社、八雲社、白山社
住所 さいたま市桜区宿69
祭日 -
備考 -



大久保神社の由緒

大久保神社の創建年代等は不詳ながら、南北朝期に当地を含む大窪郷を領していた安保直実・泰規氏の関係者が居住していた城館に近いことから、武神を奉斎したのではないかといいます。江戸期には八幡社と称して宿村の鎮守として祀られ、明治6年村社に列格、明治40年には同村の大字植田谷領在家の村社天神社と大字白鍬の村社氷川社を本殿に合祀、村名より大久保神社と改称したといいます。

新編武蔵風土記稿による大久保神社の由緒

(宿村)
八幡社
村内の鎮守なり
末社。疱瘡神社、稲荷社
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天神社
末社。天王社、稲荷社
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稲荷社
以上三社共に村民の持なり
(在家村)
天神社
村の鎮守なり、林鐘寺
末社。第六天社、神明社
(白鍬村)
氷川社
村の鎮守なり、慶福寺の持
末社。愛宕社、荒神社 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による大久保神社の由緒

大久保神社<浦和市宿六九〇(宿字宮前)>
宿の地名の由来は、近村の道場村に畠山重忠の館があったころ、当地もにぎわい、家が軒を連ねて宿のようであったことによるという。
地内の字宮前にある「宿の城」といわれる城館跡は、安保直実・安保泰規に関係の者が居住したと推定されている。安保直実・泰規の両名は賀美郡安保郷(現神川町元阿保一帯に比定される)を本領とする豪族・安保氏の一族で、南北朝期に当地を含む大窪郷を領していた。
当社はもと八幡社と称し、この「宿の城」の南東に鎮座していることから、安保氏に関係する者によって武神として奉斎されたことが推測される。最も古い史料に、承応二年(一六五三)本殿建立のものと思われる棟札があり、「御本願地頭朝岡権三郎」「代官中村枩左衛門」の名が見える。また、天明四年(一七八四)の「再建主村氏子中」「大願主星野喜惣次」とする本願再建の棟札があり、現在の一間社流造りの本殿はこの時に造営されたものであろう。
『風土記稿』には「八幡社 村内の鎮守なり」とある。明治六年に村社となり、同二十二年に宿村が大久保村の大字となったことから、同四十年には同村の大字植田谷領在家の村社天神社と大字白鍬の村社氷川社を本殿に合祀し、村名を採って大久保神社と改称した。現在、白鍬の氷川神社の社殿は当社境内にあり、嘉永二年(一八四九)の棟札と社殿仕用帳、明治十三年の棟札が残されている。(「埼玉の神社」より)

境内掲示による大久保神社の由緒

創立年代不詳なるが由緒は古く、新編武蔵風土記にも記載されてゐる古社である。現本殿は宗札によると天明四年、百十九代の光格天皇の御代、徳川家第十代家治将軍時代(約二百十年前)の再建とある。
尚神社保存木札によると安政二年神社を中心して遠くは浅間山の大噴火、翌三年には江戸城辺り迄の自身風水害が記され神社は安泰なり。明治六年四月村社に列格、仝四十年九月廿三日大久保村大字植田谷領在家村字稲荷の天神社、同村大字白鍬の村社氷川社を合祀、社号を大久保神社と改称す。
明治四十二年九月廿七日新鮮幣帛供進神社に指定される。
昭和廿年八月太平洋戦争終結、翌廿一年神道指令により、神社本庁所属の宗教法人大久保神社となる。
社殿境内の平成大改修により神社は面目を一新した。(境内掲示より)


大久保神社所蔵の文化財

  • 大久保神社本殿(市指定有形文化財)
  • 境内社豊栄社本殿(市指定有形文化財)
  • 稲荷社本殿(市指定有形文化財)
  • 大久保神社社叢(市天然記念物)

大久保神社(旧宿八幡宮)本殿

一間社流作りで、身舎の間口一・八二m、奥行き一・六四m、向拝の出が一・五五mあります。土台上に建ち、身舎柱は円柱で長押と頭貫で固められ、柱上は出三斗で桁を受けます。中備には四方とも蟇股が入り、妻飾りは太瓶束で彫刻の施された笈形が付きます。向拝柱上の組物はやはり出三斗です。身舎とは海老虹梁で繋がれています。身舎の正面は桟唐戸で、三方に縁をまわし、正面に木階が付きます。軒は二重繁垂木、屋根はこけら葺き型の銅板葺きとなっています。
棟札によりこの建物は天明四年(一七八四)の建立であることがわかっています。なお、この棟札には建立年代の他に、願主名や大工名等も記されています。(宗教法人大久保神社・浦和市教育委員会掲示より)

境内社豊栄社(旧白鍬氷川神社)本殿

一間社流作りで、身舎の間口一・〇五m、奥行き一・三〇m、向拝の出が〇・九七mあります。土台上に建ち、身舎柱は円柱で長押と頭貫と台輪とで固められ、柱上の組物は出組みです。中備は詰組の拳鼻付きです。妻飾りは太瓶束で雲紋の彫刻が施された笈形が入ります。向拝柱は方柱几帳面取りで、水引虹梁の木鼻は獅子の丸彫りです。向拝柱上の組物は三斗で、中備には竜の丸彫りが入ります。身舎とは海老虹梁で繋がれています。身舎の正面は桟唐戸で、三方にまわした縁は三手先の腰組で受け、正面に木階と浜床が付きます。軒は二重繁垂木で、屋根はこけら葺き型銅板葺きとなっていて、破風には鶴の彫刻の拝懸魚が付きます。
この建物には嘉永二年(一八四級)の建立であることを伝える棟札があるほか、嘉永元年の仕用帳が残っています。この仕用帳は、下大久保村の(志村)弥五郎が請負人として見積もったもので、本殿の寸法、必要となる部材の詳細等が記されている大変興味深い資料です。(宗教法人大久保神社・浦和市教育委員会掲示より)

境内社稲荷社(旧在家天神社)本殿

一間社流作りで、身舎の間口一・二五m、奥行き一・五二m、向拝の出が一・一二mあります。土台上に建ち、身舎柱は円柱で長押と頭貫と台輪とで固められ、柱上の組物は出組みです。中備は詰組の拳鼻付きで、妻飾りは太瓶束で波と雲の彫刻を施した笈形を一面に詰めます。向拝柱は方柱几帳面取りで、水引虹梁には竜の丸彫りの木鼻が付きます。向拝柱上は連三斗で、牡丹丸彫りの手挟みと、中備には獅子に牡丹の丸彫り彫刻を入れます。身舎とは海老虹梁で繋がれています。身舎の正面は桟唐戸で、三方に縁をまわし、正面に木階と浜床が付きます。軒は二重繁垂木で、屋根は瓦葺きとなっています。
この建物には建立年代を示す資料はありませんが、絵様や彫刻の意匠等に、大久保神社本殿及び豊栄社本殿と近いものがあることから、江戸時代後期の建立と考えられます。彫刻の豊富な建物ですが、特に向拝に付く竜と獅子が通常と逆の珍しい配置になっています。(宗教法人大久保神社・浦和市教育委員会掲示より)

大久保神社の周辺図

参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)