猫の足あとによるさいたま市・埼玉県・首都圏の寺院、神社など寺社案内

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

田島氷川社。さいたま市桜区田島の神社

田島氷川社の概要

田島氷川社は、さいたま市桜区田島にある神社です。田島氷川社の創建年代は不詳ですが、西堀と田島が分村する以前からの鎮座で当社を下の宮と称していたといい、慶安2年(1649)には徳川家光より社領7石の御朱印状を拝領したといいます。明治6年には村社に列格、明治40年には大字関の無格社神明社と同境内社の八坂社・天満社、大字鹿手袋の村社八幡社と同境内社の稲荷社、同大字の無格社日月社と第六天社の計七社を合祀したといいます。

田島氷川社
田島氷川社の概要
社号 氷川社
祭神 建速須佐能男命
相殿 -
境内社 門客人社、須賀社、松尾社、鹿島社、稲荷社
住所 さいたま市桜区田島4-12-1
祭日 -
備考 -



田島氷川社の由緒

田島氷川社の創建年代は不詳ですが、西堀と田島が分村する以前からの鎮座で当社を下の宮と称していたといい、慶安2年(1649)には徳川家光より社領7石の御朱印状を拝領したといいます。明治6年には村社に列格、明治40年には大字関の無格社神明社と同境内社の八坂社・天満社、大字鹿手袋の村社八幡社と同境内社の稲荷社、同大字の無格社日月社と第六天社の計七社を合祀したといいます。

境内掲示による田島氷川社の由緒

当社は徳川家光公より所領七石の寄進をする旨の朱印状を賜り、以後歴代の将軍より継目安堵の朱印状賜る。田島村・新開村・道場村・町谷村・西堀村・関村・鹿手村の七ヶ村の鎮守であった。新編武蔵風土記稿にも記載されている古社である。当社を下の宮・西堀村の氷川社を上の宮と稱し、例祭は当社十月六日。西堀の氷川社十月七日と続く此の時期、雨が多いので昔より西堀・田島の泣き節句と云われている。(境内掲示より)

新編武蔵風土記稿による田島氷川社の由緒

(田島村)氷川社
村の鎮守なり、社領七石の御朱印を賜ふ、當社を下の宮と號し、西堀村の氷川社を上の宮と唱へり。
末社。鹿島社、天王社、稲荷社、
神主栗原民部、吉田家の配下なり。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による田島氷川社の由緒

県花であるサクラソウの自生地として知られる田島は、荒川左岸の低地に位置し、農地と工場が混在する住宅地である。国指定特別天然記念物の田島ヶ原サクラソウ自生地は地内西端部の荒川の堤外地付近にあり、市立さくら草公園として保護が進められている。
当社はこの田島の鎮守としてられてきた社で、旧社家の栗原芳太郎家所蔵の「朱印状書上」(年不詳・未九月)によれば、既に慶安二年(一六四九)には徳川家光から朱印地七石を拝領したことがわかる。また、『風土記稿』田島村の項には「氷川社 村の鎮守なり、社領七石の御朱印を腸ふ、当社を下の宮と号し、西堀村の氷川社を上の宮と唱へり、末社鹿島社新脛社天王社稲荷社神主栗原民部吉田家の配下なり」とある。「下の宮」の呼称は現在でも通称として用いられているが、これについては、かつて田島と西堀が一村であったころ、同村内にある二つの氷川社を区別するため、上下の呼称を用いるようになったという話が伝えられている。
明治六年には村社となり、同四十年には大字関の無格社神明社と同境内社の八坂社・天満社、大字鹿手袋の村社八幡社と同境内社の稲荷社、同大字の無格社日月社と第六天社の計七社を合祀した。しかし、この合祀は実際は書類上のことにとどまり、いずれも旧地に社が残り、祭りが続けられている。当社の祭神は建速須佐能男尊外七柱である。(「埼玉の神社」より)


田島氷川社の周辺図


大きな地図で見る
参考資料
  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)