若王子稲荷神社。王子稲荷社を勧請
若王子稲荷神社の概要
若王子稲荷神社は、さいたま市浦和区高砂にある神社です。若王子稲荷神社の創建年代は不詳ですが、商売繁盛を願う地元の商家によって創建したものと考えられ、安政6年(1859)に神祇伯王の白川家から神璽を勧遷したとも、滝野川の王子稲荷社を勧請したともいいます。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 稲荷神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
住所 | さいたま市浦和区高砂2-15-19 |
祭日 | - |
備考 | - |
若王子稲荷神社の由緒
若王子稲荷神社の創建年代は不詳ですが、商売繁盛を願う地元の商家によって創建したものと考えられ、安政6年(1859)に神祇伯王の白川家から神璽を勧遷したとも、滝野川の王子稲荷社を勧請したともいいます。
「埼玉の神社」による若王子稲荷神社の由緒
稲荷神社(高砂2-15-19)
高砂は、中山道の浦和宿の町並みを中心として発展した市街地である。浦和宿は、江戸までの行程が六町六里と近く、宿場としてはさほどの繁栄は見られなかったが、毎月二・七の日に市が立ったため、市場ともてにぎわい、穀物や木綿類が多く取り引きされていた。
当社は、商売繁盛を願う地元の商家によって創建されたものと思われ、遠い昔に京都の伏見稲荷大社の分霊を祀ったことに始まり、安政六年(一八五九)には神祇伯王の白川家から神璽を勧遷したと伝えられる。しかし、「若王子」の名称を冠することから、同じ中山道筋の滝野川村の近くにあった王子稲荷社が関東総司ともいわれ、『江戸名所図会』にも、二月初午に多くの参詣者でにぎわった旨が記されており、江戸とつながりのあった当地の商家によりこの社から勧請されたとも考えられる。
明治維新を迎えてからは、当社は無格社とし従来から当社を信仰してきた一一名の崇敬老の持ちとして維持されるようになった。この一一名とは、野尻次助・小金井庄三郎・関井文七・関井清七・石塚米蔵・岩淵吾八・石井宗次郎・伊藤専吉・山田邦八・金子ムメ・星野弥吉で、江戸時代以来の崇敬者であったが、明治十二年以降は野尻家の当主が神社付近の崇敬老の協力を得て管理を行うようになり、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
新編武蔵風土記稿による若王子稲荷神社の由緒
記載なし。
若王子稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)