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妙行寺。さいたま市中央区鈴谷にある日蓮宗寺院

妙行寺の概要

日蓮宗寺院の妙行寺は、東永山と号します。妙行寺の創建年代は不詳ながら、鎌倉時代に臨済宗東栄山心浄寺として創建、応永15年(1408)に日英上人(応永30年1423年寂)が日蓮宗に改めて開山、慶安2年寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

妙行寺
妙行寺の概要
山号 東永山
院号 -
寺号 妙行寺
住所 さいたま市中央区鈴谷4-3-15
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙行寺の縁起

妙行寺の創建年代は不詳ながら、鎌倉時代に臨済宗東栄山心浄寺として創建、応永15年(1408)に日英上人(応永30年1423年寂)が日蓮宗に改めて開山、慶安2年寺領10石の御朱印状を拝領したといいます。

新編武蔵風土記稿による妙行寺の縁起

(鈴ヶ谷村)妙行寺
日蓮宗、下総國中山法華経寺末、東永山心浄院と號す、慶安二年八月寺領十石の御朱印を賜ふ。本尊三寶及び祖師の像を安ず、往古は禅宗なりしが、應永の頃僧日英なる者改宗せしより是を開山とす、同き三十年八月十日示寂せりと、墓所に善行院道榮□□壬子十二月十二日太田十郎殿家中森筑前守とえりたる石碑あり、是は村民儀右衛門が先祖なりといへども、其詳なることを知らず。
鐘楼。享保年中再造の鐘をかく。
金毘羅社。稲荷社(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による妙行寺の縁起

日蓮宗東永山妙行寺縁起
当山は古くは臨済宗心浄寺と号していたが応永十五年(一四〇八)住職周如禅師は日蓮宗の高僧日英上人のすすめにしたがい日蓮宗に改宗したと伝えられている。開山日英上人は、なべかむり日親上人の伯父に当たり、市川市法宣院の過去帳には、「三世法宣院日英上人三十三才入院末寺七十六ヶ寺建立在位五十五年、応永三十年癸卯八月十日寂七十七才」と記されている。
慶安弐年(一六四九)八月二十四日、三代将軍家光公から寺領十石の朱印状を賜り以後万延元年(一八六〇)まで合計七通の朱印状が残されている。その後、享保四年、十五世日隆上人の代に寺院を建立したが、安永二年(一七七三)正月火災の為全焼し、安永六年(一七七七)佐渡の人二十世目昌上人は本山の許可を得て赴任し、檀信徒を励まし、安永七年に寺院を復興し、山号も東栄山から東永山と改めた。
それから百五十年を経た昭和五年(一九三〇)五月二十日またもや火災に見舞われ、堂宇をはじめ仏像十体など惜しくも焼失した。この時三十三世日誓上人の奔走により檀信徒からの浄財をもって昭和十年になって堂宇を再建し現在に至る。
現在の山門は江戸中期建立の前山門のいたみがはげしいので昭和五十八年日蓮大聖人第七百遠忌報恩の為に、檀信徒一丸となって再建したものである。(境内掲示より)


いいお墓

妙行寺所蔵の文化財

  • 妙行寺の朱印状(さいたま市指定文化財)
  • 正元二年銘の板石塔婆(さいたま市指定文化財)
  • 大榧(国指定天然記念物)
  • 木こく(国指定天然記念物)
  • 鈴木荘丹の墓(市指定文化財)
  • 稲垣田竜の墓(市指定文化財)
  • なべかむり日親聖人開眼木彫日蓮聖人座像
  • 木彫毘沙門天立像
  • 木彫妙見菩薩座像
  • 木彫大黒天立像
  • 木彫金毘羅天立像

妙行寺の朱印状

朱印状は武将が政務・法令・軍事等について発令した公的文書で、花押の代りに朱印を押し発行、給付した証の文書をいいます。
朱印状は、一般に徳川氏が寺社に対して所領寄進という形式で発行し、その後、歴代将軍の代替りごとに「継目安堵」として同じ様式のものを発行しました。
この朱印状は、三代将軍徳川家光が所領寄進という内容で妙行寺へ発行したものです。
武蔵国足立郡鈴谷村
妙行寺領同村之内拾石事
任先規寄附之訖全可収納并
山林竹木諸役等免除如有来
永不可有相違者也
慶安二年八月廿四日
昭和五六年(一九八一)二月一三日市指定となる。(さいたま市教育委員会掲示より)

正元二年銘の板石塔婆

この板石塔婆は市内最古のものです。上部中央に、阿弥陀如来を示す梵字「キリーク」が薬研彫で刻まれています。その下に「正元二年三月日」(一二六〇)の紀年銘。左右に「偈」とよばれる「光明遍照 十方世界」「念仏衆生 摂取不捨」の仏徳賛美の文字があります。「光明はあまねく十方世界を照らし、仏を念ずる人々は必ず救われる」という、浄土教の「観無量寿経」から抜き出したものです。高さ八十四cm。下部は欠損していますが、主尊種子、頂部の山形、二条線などの保存状態はよく、鎌倉時代の供養塔の特徴をよく残す貴重な文化財です。
平成十年(一九九八)市指定となる。(さいたま市教育委員会掲示より)

妙行寺の周辺図

参考資料
  • 「新編武蔵風土記稿」