知楽院。太田美濃守資朝開基
知楽院の概要
臨済宗円覚寺派の知楽院は、合城山と号します。知楽院は、奇文(元亀2年寂)が開山、太田美濃守資朝が開基となり創建したといいます。
山号 | 合城山 |
---|---|
院号 | 知楽院 |
寺号 | - |
住所 | さいたま市岩槻区城町2-10-13 |
宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | 槻の城山霊園(知楽院墓苑) |
備考 | - |
知楽院の縁起
知楽院は、太田美濃守資朝(法名壽仙院知楽道可庵主)が開基となり、奇文(元亀2年寂)が創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による知楽院の縁起
(富士宿町)知楽院
禅宗臨済派、鎌倉圓覚寺の末、本尊釋迦を安ぜり、開山奇文元亀二年寂せり、開基は太田美濃守資朝、天文五年四月卒す、法謚壽仙院知楽道可庵主と號し、今も其位牌あり、按に足利寒松和尚の詩稿曰、往歳元亀辛巳之春、奇文先師七十九歳、開風雅筳以牡丹花下會友、爲題試社中之人物、予亦少弱陪其座、屈指則五十七年、予今今茲丁卯七十九歳、見牡丹憶昔遊、聊又歎其毫、戯作、
試場久廢憶先師、曾賦牡丹要會期、七十九翁同毫矣、巳忘體律不言詩
又曰、奇文先師と隠於不閑、當其時珠子随侍中瓶、辛未十二月十四日寂世、壽七十九、至于今年壬子四十二年也と、則同人のことなるべし。(新編武蔵風土記稿より)
知楽院の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」