願生寺。さいたま市岩槻区本町にある浄土宗寺院
願生寺の概要
浄土宗寺院の願生寺は、實相山西方院と号します。願生寺の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「浄土宗、宿内浄安寺の末、實相山西方院と稱す、本尊彌陀、明和四年鑄造の鐘なり」とあります。
山号 | 實相山 |
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院号 | 西方院 |
寺号 | 願生寺 |
住所 | さいたま市岩槻区本町3-15-12 |
宗派 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
願生寺の縁起
願生寺の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「浄土宗、宿内浄安寺の末、實相山西方院と稱す、本尊彌陀、明和四年鑄造の鐘なり」とあります。
新編武蔵風土記稿による願生寺の縁起
(久保宿町)願生寺
浄土宗、宿内浄安寺の末、實相山西方院と稱す、本尊彌陀、明和四年鑄造の鐘なり。
庚申堂。(新編武蔵風土記稿より)
願生寺所蔵の文化財
- 阿弥陀三尊図像月待供養板碑一基(さいたま市指定有形文化財)
阿弥陀三尊図像月待供養板碑一基
板碑は鎌倉時代から室町時代にかけて墓塔、供養塔などとして建てられたもので、板石塔婆、青石塔婆ともいわれます。秩父に産する翠泥片岩など、石材に恵まれている埼玉県附近には特に多く見られます。
現存高七十センチメートル、幅三十三センチメートル。線彫りした阿弥陀如来像しか残っていませんが、欠損した下部の一部に月輪が見えることから、観音菩薩と勢至菩薩を従えた阿弥陀三尊像を図像で表現したことがうかがえます。また、残っている銘文から室町時代から盛んに行われるようになった「月待供養」の板碑であったと考えられます。月待供養とは、二十三日などの月の出を待つ民間信仰で、月宮殿におわす月天子を拝み無病息災を願ったもので、さいたま市は、県内でも月待信仰が盛んな地域であったといわれており、この板碑も、当時の民間信仰を知る上で貴重な資料です。(宗教法人願生寺・さいたま市教育委員会掲示より)
願生寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」