浄音寺。さいたま市岩槻区末田にある浄土宗寺院

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浄音寺。徳川家康より与えられた山号深谷山

浄音寺の概要

浄土宗寺院の浄音寺は、深谷山と号します。浄音寺は、僧浄音が草庵を結び延徳元年(1489)に草創、圓譽融弘(永正11年1514年寂)の代に村内小山氏の尽力を得て明応3年(1494)に本堂を建立、僧浄音を開山としたといいます。徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には寺領3石の御朱印状を受領、当時の地形に因んで深谷山の山号を与えられたといいます。

浄音寺
浄音寺の概要
山号 深谷山
院号 -
寺号 浄音寺
住所 さいたま市岩槻区末田2239
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来像
葬儀・墓地 -
備考 -



浄音寺の縁起

浄音寺は、僧浄音が草庵を結び延徳元年(1489)に草創、圓譽融弘(永正11年1514年寂)の代に村内小山氏の尽力を得て明応3年(1494)に本堂を建立、僧浄音を開山としたといいます。徳川家康関東入国後の天正19年(1591)には寺領3石の御朱印状を受領、当時の地形に因んで深谷山の山号を与えられたといいます。

新編武蔵風土記稿による浄音寺の縁起

(末田村)
浄音寺
浄土宗、岩槻浄安寺末、深谷山と號す、當寺の草創は延徳元年浄音と云僧、草庵を結て念佛三昧なりしを、明應三年圓譽融弘と云僧住せし頃、村内小山氏なるもの力を戮せて本堂を造立し、起立の僧浄音が名を取て寺號とせり、融弘は永正十一年三月十二日化す、其門弟融慶住職たりしとき、天正十九年東照宮御遊猟の序え當寺へ御立寄ありしに、其頃境内今の如くにはあらで、谷間に籠りたれば、四邊を切開くべき山且山號を深谷と賜はり、又寺領三石を附せられしと云、本尊阿彌陀、坐像長二尺五寸慈覺大師の作なり、
鐘樓。正徳四年の鐘をかく、
天神社
第六天
觀音堂(新編武蔵風土記稿より)


浄音寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」