高林寺。北足立八十八ヵ所霊場
高林寺の概要
真言宗智山派寺院の高林寺は、朝日山蓮王院と号します。高林寺の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「新義眞言宗、上加村萬福寺の末、朝日山蓮王院と號す、本尊は不動を安置す。」と記載されています。北足立八十八ヵ所霊場12番です。
山号 | 朝日山 |
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院号 | 蓮王院 |
寺号 | 高林寺 |
住所 | さいたま市北区本郷町1398 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
高林寺の縁起
高林寺の創建年代等は不詳ながら、新編武蔵風土記稿に「新義眞言宗、上加村萬福寺の末、朝日山蓮王院と號す、本尊は不動を安置す」と記載されています。
新編武蔵風土記稿による高林寺の縁起
(本郷村)高林寺
新義眞言宗、上加村萬福寺の末、朝日山蓮王院と號す、本尊は不動を安置す。
薬師堂(新編武蔵風土記稿より)
さいたま市教育委員会掲示による高林寺の縁起
江戸時代後期に火災に会い古い記録を失ってしまいましたが、本郷村の檀那寺で、住民と結びつきの深い真言宗の寺院です。
当時の住職は村の知識人で、村内の子供達に「読み書きソロバン」を教えていました。住職の1人宥全は越後国長岡の出身で53歳で亡くなりますが、教えを受けた子供達が共同で墓石を建て、師の徳をたたえています。文化4年(1807)の銘が入っていますので、文化年間以前の寛政〜享和にかけて寺子屋を開いていただろうと思われます。なお、嘉永元年(1848)の真阿和尚の墓石も手習い弟子(筆子)により建てられていますので、引き続き当寺が村の学校の役割を果たしていたことがわかります。
明治5年(1872)国民皆学の方針を定めた学制の制定により、翌6年5月本郷学校が当寺にて開校、本郷・土呂・今羽地区の子供たちが通学しました。現在の大砂土小学校の前身であり、大砂土地区学校発祥の地といえましょう。(さいたま市教育委員会掲示より)
高林寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」