真福寺。時宗から浄土宗に改宗、市指定文化財の板石塔婆
真福寺の概要
浄土宗寺院の真福寺は、自在山實相院と号します。真福寺は、元阿覺圓和尚が室町時代前期頃に時宗寺院として創建、第六世諦譽義全(永正7年1510年寂)の時に浄土宗に改めたといいます。当寺に保存されている板石塔婆のうち三基は時宗の時に祀られたもので、市文化財に指定されているといいます。
山号 | 自在山 |
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院号 | 實相院 |
寺号 | 真福寺 |
住所 | さいたま市北区今羽町106 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
真福寺の縁起
真福寺は、元阿覺圓和尚が室町時代前期頃に時宗寺院として創建、第六世諦譽義全(永正7年1510年寂)の時に浄土宗に改めたといいます。当寺に保存されている板石塔婆のうち三基は時宗の時に祀られたもので、市文化財に指定されているといいます。
新編武蔵風土記稿による真福寺の縁起
(今羽村)眞福寺
浄土宗、鴻巣宿勝願寺末、自在山實相院と號す、此寺往古は時宗にて、元阿覺圓和尚の起立なりと云、元阿が碑境内にあり、永和二年三月十九日、元阿彌陀佛と彫れり、此餘文明十年逆修重阿彌陀佛、及び文永五年天文二十年等の古碑立り、當寺第六世諦譽義全がとき、今の宗旨に改めしと云、此義全永正七年十月朔日示寂といへば、浄土門なりしも古きことなり、本尊三尊の彌陀惠心の作なりと云。
天神社(新編武蔵風土記稿より)
真福寺所蔵の文化財
- 真福寺板石塔婆(大宮市指定有形文化財)
真福寺板石塔婆
ここに保存されている八基の板石塔婆(板碑)の中で、特に永徳元年(一三八一)(高さ一四九センチメートルで最も大きい)、永和二年(一三七六)、文明十六年(一四八四)の「南無阿弥陀佛」と陰刻された六字名号板碑三基と、天文二十年(一五五一)の弥陀三尊種子のもの一基の、計四基は市の指定文化財となっている。大宮市内には約千二百基の板碑があるが、六字名号の板碑は二十基程に過ぎない。ここにある三基には、六字名号と阿号の人名がみられ、時宗の板碑であることが知られる。
当寺については新編武蔵風土記稿に「此寺往古時宗にて、元阿覚円和尚の起立なりしと云、元阿が碑境内にあり、永和二年八月十九日元阿弥陀仏と彫れり、此余文明十六年逆修宇重阿弥陀仏及び、文永五年、天文二十年等の古碑あり、当寺第六世諦誉義全のとき今の宗旨に改めりと云・・・」の記載があり、当寺は往古時宗の寺で、元阿覚円が開山し、第六世諦誉義全のとき浄土宗に改めたということがわかるが、ここにある板碑はこの寺伝と一致する貴重な資料である。また風土記刊行後約百年を経て、なお当時のままに保存されている事実も稀な例である。(大宮市教育委員会掲示より)
真福寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」