國昌寺。さいたま市緑区大崎にある曹洞宗寺院

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國昌寺。さいたま市指定有形文化財の山門

國昌寺の概要

曹洞宗寺院の國昌寺は、大崎山と号します。國昌寺は、高橋圖書が開基、常泉寺第八世心巌宗智大和尚が天正年間(1573-1592)に開山、当寺二世大雲文竜は能書家としても著名だといいます。山門は、江戸時代中期(宝暦頃)の建築で、さいたま市有形文化財に指定されています。

國昌寺
國昌寺の概要
山号 大崎山
院号 -
寺号 國昌寺
住所 さいたま市緑区大崎2378
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



國昌寺の縁起

國昌寺は、高橋圖書が開基、常泉寺第八世心巌宗智大和尚が天正年間(1573-1592)に開山、当寺二世大雲文竜は能書家としても著名だといいます。

新編武蔵風土記稿による國昌寺の縁起

(大崎村)國昌寺
曹洞宗、染谷村常泉寺末、大崎山と號す、本尊釋迦を安ず、開山心嚴宗知寂年を傳へず、二世大雲文龍元和三年正月十八日寂したれば、草創の年歴も推して知べし、且開基高橋圖書は、諏訪社神主の先祖なりといへり。
鐘楼。元禄十五年再造の鐘をかく。
地蔵堂、白山社。(新編武蔵風土記稿より)

さいたま市掲示による國昌寺の縁起

國昌寺は、曹洞宗の寺院で、大崎山國昌寺といいます。天正年間(一五七三-一五九二)、見沼区染谷にある常泉寺の第八世住職であった心巌宗智大和尚が開山しました。二世(中興開山)は能書家としても著名な大雲文竜です。
文竜は、名僧智識としてその名は朝廷にまで達し、特に書に秀でていたため、後陽成、後水尾両天皇から三度も召され、宮中で書を指南しています。寺には、寺宝として大雲文竜書の「大弁才尊天号」の軸物(市指定有形文化財)が伝わります。
山門は、江戸時代中期(宝暦頃)の建築で、市の有形文化財に指定されています。欄間の龍は、左甚五郎の作と伝えられるもので、棺を担いでこの門をくぐりぬけると、龍に中身を喰われて軽くなるという伝説を持っています。また、この龍はもと見沼に住んでいて作物を荒らしたので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘付けにして門におさめたという伝説もあります。
また、境内には、阿弥陀一尊種子板石塔婆(市指定有形文化財)と、センダンバノボダイジュ(市指定天然記念物)の文化財もあります。(さいたま市掲示より)


國昌寺所蔵の文化財

  • 国昌寺門一棟(市指定有形文化財)
  • 阿弥陀一尊種子板石塔婆(市指定有形文化財)
  • センダンバノボダイジュ(天然記念物)

国昌寺門一棟

この門は、薬医門に属し、間口三・〇三メートル、奥行一・九八メートルで、屋根は切妻となっている。断面矩形の本柱と、断面方形の控柱が前後に並び、本柱と控柱は地覆と貫で繋ぐ。本柱上に冠木をのせ、控柱上は虹梁で繋いでいる。控柱から冠木上に梁を組み架け、梁は前方に持ち出され、大斗肘木で妻虹梁と組み合わせた桁を受ける。
妻は太瓶束で棟木を受ける。冠木上には、左甚五郎作と伝えられる堂々とした竜の彫刻がおさめられ、また、妻の羽目板の内側には、唐獅子の線彫りがみられるなど、装飾が豊富である。妻虹梁の絵様や太瓶束に取り付けた笈形などに活気ある手法が見られ、これらから、江戸時代中期の建立になると思われる。軸部の材の多くはケヤキを用いており、堅固な作りである。
なお、この門には、「開かずの門」と「釘つけの竜」の伝説がある。(国昌寺・浦和市教育委員会掲示より)

阿弥陀一尊種子板石塔婆

高さ一・九ゼロメートルのやや大型の板石塔婆で、緑泥片岩製である。二条線の下に阿弥陀如来を表す種子「キリーク」を薬研彫りで雄渾に刻んでいる。下部に「月日」とあるが他の名文は、何らかの事情で磨り消されている。鎌倉時代も早い頃の造立と考えられる。(国昌寺・浦和市教育委員会掲示より)

國昌寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」