四谷観音堂(観音寺)。旧寳珠山観音寺、足立坂東三十三ヶ所霊場
四谷観音堂(観音寺)の概要
四谷観音堂は、旧真言宗智山派寺院で寳珠山観音寺と号していました寺院跡です。四谷観音堂(観音寺)の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿には寳珠山観音寺と号する寺院として記載され、不動明王を本尊とし、境内には観音堂・稲荷社があったといいます。明治維新後廃寺となり、観音堂には不動明王も併せて奉安されています。足立坂東三十三ヶ所霊場14番・武州足立百不動尊霊場48番、北足立八十八ヵ所霊場34番です。
旧山号 | 寳珠山 |
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旧院号 | - |
旧寺号 | 観音寺 |
住所 | さいたま市南区四谷3-7-34 |
旧宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
四谷観音堂(観音寺)の縁起
四谷観音堂(観音寺)の創建年代等は不詳ながら、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿には寳珠山観音寺と号する寺院として記載され、不動明王を本尊とし、境内には観音堂・稲荷社があったといいます。明治維新後廃寺となり、観音堂には不動明王も併せて奉安されています。足立坂東三十三ヶ所霊場14番・武州足立百不動尊霊場48番です。
新編武蔵風土記稿による四谷観音堂(観音寺)の縁起
(田島村)
観音寺
新義真言宗、輿野町圓乗院門徒、寳珠山と號す、本尊不動を安ぜり。
観音堂。
稲荷社。(新編武蔵風土記稿より)
四谷観音堂(観音寺)の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」