大圓寺。新秩父三十四ヶ所霊場
大圓寺の概要
曹洞宗寺院の大圓寺は、鷲嶽山と号します。大圓寺は、染谷常泉寺4世禅恕宗明(天文12年1543年寂)が創建したといいます。新秩父三十四ヶ所霊場33・34番です。
山号 | 鷲嶽山 |
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院号 | - |
寺号 | 大圓寺 |
住所 | さいたま市見沼区風渡野335 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大圓寺の縁起
大圓寺は、陽巌宗春(大永5年1525年寂)が開山となり創建、太田新六郎資高(大崇院昌安道也居士、永禄11年1568年寂)、および太田源五郎康資の室(陽光院芳林妙春大姉、永禄10年1567年寂)を開基大檀那とするといいます。
新編武蔵風土記稿による大圓寺の縁起
(風渡野村)大圓寺
曹洞宗、大成村普門院末。鷲嶽山と号す。本尊正観音を安ず。開山陽巌宗春大永五年正月三日寂す。開基は太田新六郎資高と云。法名大崇院昌安道也居士、永禄十一年八月二十三日卒す。又本堂に陽光院芳林妙春大姉、永禄十年三月八日と記せし碑あり。是太田源五郎康資の室にて、共に開基大檀那と称す。かかる故ある佛刹なれど、正保年間回禄の災にかかり、記録を失ひたれば其由緒詳ならず。(新編武蔵風土記稿より)
大圓寺所蔵の文化財
- 大円寺古天明霰釜(市指定文化財工芸品)
大円寺古天明霰釜
大円寺は室町時代の創建で、その頃このあたりは岩付太田氏の領地に組み入れられていました。太田氏と大円寺とのかかわりは深く、この釜は太田道灌が茶の湯に愛用していたと伝えられ、のちに大円寺に寄贈されたものです。寄贈者は陽光院殿で、同寺に参詣する時は、この釜で茶をたて、道灌の位牌に供えたと言われています。
天明は、現在の栃木県佐野市あたりの地名で、古天明は、室町時代後期までにつくられたものの総称です。「西の芦谷東の天明」と言われ、茶の湯釜の双璧と称されました。
大円寺釜は、古天明としては珍しく霰文ですが、他に文様を入れない霰無地で、その気品ある形とともに、古天明の味わいを持つ貴重な釜と言えます。(大宮市教育委員会掲示より)
大圓寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」