光徳寺。日光東照宮参拝に際して将軍の御膳所、新秩父三十四ヶ所霊場
光徳寺の概要
曹洞宗寺院の光徳寺は、江長山と号します。光徳寺は、快巌(慶長6年1601年寂)が開山となり、文禄4年(1595)に創建、慶安2年(1649)には徳川家光より寺領13石の御朱印状を拝領、将軍の日光東照宮参拝に際して御膳所として供用されていたといいます。新秩父三十四ヶ所霊場2番です。
山号 | 江長山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 光徳寺 |
住所 | さいたま市見沼区膝子315 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光徳寺の縁起
光徳寺は、快巌(慶長6年1601年寂)が開山となり、文禄4年(1595)に創建、慶安2年(1649)には徳川家光より寺領13石の御朱印状を拝領、将軍の日光東照宮参拝に際して御膳所として供用されていたといいます。
新編武蔵風土記稿による光徳寺の縁起
(膝子村)光徳寺
曹洞宗、片柳村萬年寺末、江長山と號す、寺領十三石の御朱印は大猷院殿の御代に下し賜へり、開山快巌慶長六年十一月十九日寂す、本尊釋迦を安せり。
白山社。
観音堂。
撞鐘、元禄十四年鑄造の鐘なり。(新編武蔵風土記稿より)
大宮市掲示による光徳寺の縁起
光徳寺は、曹洞宗の寺で江長山と号し、片柳の萬年寺の末寺で、本尊に薬師如来を安置している。
寺の開創は文禄四年(一五九五)といい、開山の僧快巌は慶長六年(一六〇一)十一月十九日に亡くなっている。
当寺は、江戸時代の将軍徳川家光以降代々十三石の寺領を賜り、それを証する朱印状が残されている。
寺の西側を通る日光御成道は、将軍の日光東照宮参拝に際しての専用道として使われ、当寺はその休憩所となっていた。休憩時の将軍御愛用の品は残念ながら失われ、今では見ることができない。(大宮市掲示より)
光徳寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」