観音寺。岡部六弥太忠澄公が安置したと伝える観世音菩薩像
観音寺の概要
浄土宗寺院の観音寺は、海潮山梵音院と号します。観音寺は、霊誉玉念上人が慶長10年(1605)に開山、江戸時代には徳川家光より寺領8石の御朱印状を拝領したといいます。当寺の観世音菩薩像は、鎌倉時代の武将岡部六弥太忠澄公が安置したと伝えられ、観音堂は市有形文化財に指定されています。
山号 | 海潮山 |
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院号 | 梵音院 |
寺号 | 観音寺 |
住所 | さいたま市桜区宿147 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺は、霊誉玉念上人が慶長10年(1605)に開山、江戸時代には徳川家光より寺領8石の御朱印状を拝領したといいます。当寺の観世音菩薩像は、鎌倉時代の武将岡部六弥太忠澄公が安置したと伝えられ、観音堂は市有形文化財に指定されています。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(宿村)観音寺
寺領八石の御朱印を賜はれり、浄土宗、鴻巣勝願寺の末、開山の僧を玉念と云、寂年は詳ならず、本尊三尊彌陀を安ぜり、行基の作と云。
観音堂。(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による観音寺の縁起
浄土宗海潮山梵音院観音寺は鎌倉時代の武将岡部六弥太忠澄公が戦難救助の観世音菩薩を安置した寺として伝えられ、安永七年建立の観音堂は浦和市有形文化財の指定を受けている。
山門四脚門も江戸初期の建造物として市指定有形文化財となっている。
慶長十年霊誉玉念上人により開山され、四百年の伝統をもつ寺院として徳川三代将軍家光公より寺領八石の御朱印状を賜わった。
四世中興寂誉笈故上人、或る夜夢枕に立ち現われし阿弥陀三尊を御迎えした。三尊佛は室町時代の作信州善光寺式青銅佛像で、浦和市有形文化財の指定を受け、秘佛として本堂奥深く安置されている。(境内石碑より)
観音寺所蔵の文化財
- 観音寺観音堂(市指定有形文化財)
- 観音寺山門四脚門(市指定有形文化財)
観音寺の周辺図
参考資料
- 「新編武蔵風土記稿」