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元太観音堂。さいたま市浦和区元太にある天台宗寺院

元太観音堂の概要

天台宗寺院の元太観音堂はさいたま市浦和区にある観音堂です。元太観音堂の創建年代等は不詳ながら、江戸期には冨岡山瑞岸寺と号す天台宗寺院の観音堂だったものの、その後廃寺となり、観音堂のみが残され延命寺が管理しています。足立坂東三十三ヶ所霊場3番です。

元太観音堂
元太観音堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 -
住所 さいたま市浦和区元太2-23-5
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



元太観音堂の縁起

元太観音堂の創建年代等は不詳ながら、江戸期には冨岡山瑞岸寺と号す天台宗寺院の観音堂だったものの、その後廃寺となり、観音堂のみが残され延命寺が管理しています。

新編武蔵風土記稿による元太観音堂の縁起

(元太村)
瑞岸寺
前と同寺の末(中尾村吉祥寺末)、冨岡山と號す、本尊地蔵を安ず、
稲荷社、
観音堂(新編武蔵風土記稿より)

「さいたま市史料叢書」による元太観音堂の縁起

埼玉県管下武蔵国北足立郡元太村字元宮口
「昭和十七年二月十七日浦和市大字本太天台宗延命寺ヘ所属ノ件認可ス」
天台宗 観音堂
一本尊:観世音菩薩
一由緒:不詳
一堂:間口三間奥行三間
一境内:四拾坪「(二〇五坪)」民有地第一種村持
一信徒:百二拾人
一管轄庁迄:拾五町
以上(「さいたま市史料叢書」より)


元太観音堂所蔵の文化財

  • 木造聖観音坐像
  • 元太観音堂の連経講絵馬三面

木造聖観音坐像

本像は元太観音堂の本尊である。総高六五・七センチメートル、像高四六・〇センチメートル、膝張り三一・一センチメートルで、菩薩形。印は禅定印で蓮台上に結跏趺坐し、法衣の裾は台座正面に長く垂れる。寄木造り、玉眼。南北朝時代の制作と考えられるが、光背等は江戸時代の補修と考えられる。また台座は、他の像のものを転用したものと思われる。
この種の像は□□□から室町時代にかけて、鎌倉を中心に関東地方で多く制作された後期宋風彫刻の一典型例であり、この地における禅宗文化の一端を知る資料として注目されている。
本像は、頭部がやや小さく、胴長であり、像底の刳り上げがないなど、異例のところもあるが、写実味の利いた端正な描写、整った衣文表現、合理的な木寄せ、熟成された技法等、見るべきところが多く、この時代の法衣垂下像の美作といえる。(延命寺・浦和市教育委員会掲示より)

元太観音堂の連経講絵馬三面

天保十一年(一八四〇)の銘がある一面は、縦一〇四・〇センチメートル、横一三六・五センチメートルである。絵柄は、寺院本堂の前で十三人の男性が数珠を手に半円を描くように座り、うち右側の二人が大太鼓と小太鼓をたたいている、もので、連経講の行われる様子と思われる。「當所連経講中」とあり、奉納者として十三人の名が見られ、画中の人数と一致する。
明治十五年(一八八二)の銘がある一面は、縦七四・五センチメートル、横九六・〇センチメートルである。絵柄は元文四年(一七三九)に二代目市川団十郎が初演した「菊重栄景清」の景清の牢破りと思われる。こちらも「連経講中」とあり、「板橋在 柴左一」と作者名が見られる。
明治三十六年(一九〇三)の銘がある一面は、縦六六・五センチメートル、横九一・〇センチメートルである。絵柄は、一面の額と、宙を飛ぶ経巻、馬に乗る鎧武者である。「當所連経講中」とあり、十人の奉納者名と、「巣額」の作者名がある。
これら三面の絵馬は、江戸時代後期から明治末まで、この地で連経(観音経)講が継続していたことを示しており、民間信仰を知るうえで貴重な資料といえる。(延命寺・浦和市教育委員会掲示より)

元太観音堂の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「さいたま市史料叢書」(さいたま市)