金刀比羅神社(藤沢)。藤沢村の名主沢田家が邸宅内に奉斎
金刀比羅神社(藤沢)の概要
金刀比羅神社(藤沢)は、入間市下藤沢にある金刀比羅神社(藤沢)です。金刀比羅神社(藤沢)は、鎌倉時代から代々神職を続け、藤沢村の名主も兼ね、村で唯一の井戸を所有していた沢田家が、井戸のそば邸宅内に(水神である)金刀比羅神を祀っていたといいます。諏訪社の祀られていた当地に沢田家が隠居所を設けた天保7年(1837)に当社も当地へ遷座、熊野神社(藤沢)と共に祀られてきているといいます。
社号 | 金刀比羅神社 |
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祭神 | 大名牟遅神(大国主命)、顕仁天皇(崇徳天皇) |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 例祭10月第3日曜日の前日 |
住所 | 入間市下藤沢1144 |
備考 | - |
金刀比羅神社(藤沢)の由緒
金刀比羅神社(藤沢)は、鎌倉時代から代々神職を続け、藤沢村の名主も兼ね、村で唯一の井戸を所有していた沢田家が、井戸のそば邸宅内に(水神である)金刀比羅神を祀っていたといいます。諏訪社の祀られていた当地に沢田家が隠居所を設けた天保7年(1837)に当社も当地へ遷座、熊野神社(藤沢)と共に祀られてきているといいます。
新編武蔵風土記稿による金刀比羅神社(藤沢)の由緒
(藤澤村附新田)
金刀比羅者の記載なし
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春日社
中村の鎮守なり、神主を澤田隼人といふ、下村に住せり。 (新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による金刀比羅神社(藤沢)の由緒
始まりは不明確。
祀職は沢田家の屋敷神とも、鎮守熊野神社の境内にあったともいわれますが、天保年間(西暦一八三〇-四四)に現在地に鎮座し、以来下藤沢の鎮守に準じて祀られてきました。(境内掲示より)
「埼玉の神社」による金刀比羅神社(藤沢)の由緒
金刀比羅神社<入間市下藤沢字見出野>
当社は始め神職沢田家の屋敷神であった。沢田家は鎌倉期より代々神職を続け、幕末まで北野神職司の支配を受け、藤沢村の名主をも兼ねて、祭祀ばかりでなく村政にも関与していた。現在の当主は沢田利光で、三二代目になる。
沢田家が以前屋敷を構えていた所は、現在地から少し離れた字見方ヶ原であった。ここは、村で、唯一水の得やすい所といわれ、地形的には不老川と小川に挟まれている。このため、古くから村に井戸があったのは沢田家だけで、村人は毎日、水汲み道を通って飲み水を汲みに来ていた。当社が、屋敷神であったのも、琴刀比良の大神が水神であり、雨乞いなどにも霊験があったためで、日々水の涸れぬことを願い、井戸の近くに祀られていたのである。
沢田家が現在地に移転したのは、当地に隠居所を設けるためといわれ、社記に「天保七年、熊野神社当時の神官沢田茂頼信徒ト共々移転再興シテ一層崇敬セリ」とある。また、口碑には、頼雄の代に屋敷を移し、併せて当社を遷座したと伝える。ここは、古くから諏訪社の祀られていた所で、沢田家が代々祭祀を続けていた。現存する諏訪社の版木は、石棒に二頭の竜が向い合うもので「諏訪大神守 武蔵國入間埜 藤澤村琴平坂 狩場御殿」と刻む。なお、古老の話に「往時、この社地から石棒が出土し、宮寺の出雲祝神社に納められた」と言う。(「埼玉の神社」より)
金刀比羅神社(藤沢)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿