春日神社(黒須)。蓮華院(寂蓮法師・俗称藤原氏)がもと別当
春日神社(黒須)の概要
春日神社(黒須)は、入間市春日町にある春日神社(黒須)です。春日神社(黒須)は、元仁元年(1224)の創建だと伝えられ、当社の別当だった蓮華院は、寂蓮法師(俗称藤原氏)が建仁元年(1201)の開山であることから、鎌倉時代初期の創建であろうといいます。黒須村と称されていた当地の鎮守社として祀られ、明治5年村社に列格、同年氷川神社が祀られていた当地に遷座、大正2年に、稲荷神社(字秋津)氷川神社(字久保田)愛宕神社(字沓切場)白山社、八雲神社(字後)を合祀しています。
社号 | 春日神社 |
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祭神 | 天児屋根命、此売神、武甕槌命、経津主命 |
相殿 | 素戔嗚尊、大市姫命、倉稲魂命、火産霊命、白山姫命 |
境内社 | 護国神社 |
祭日 | 例大祭10月第3日曜日 |
住所 | 入間市春日町1-6-1 |
備考 | 旧村社 |
春日神社(黒須)の由緒
春日神社(黒須)は、元仁元年(1224)の創建だと伝えられ、当社の別当だった蓮華院は、寂蓮法師(俗称藤原氏)が建仁元年(1201)の開山であることから、鎌倉時代初期の創建であろうといいます。黒須村と称されていた当地の鎮守社として祀られ、明治5年村社に列格、同年氷川神社が祀られていた当地に遷座、大正2年に、稲荷神社(字秋津)氷川神社(字久保田)愛宕神社(字沓切場)白山社、八雲神社(字後)を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による春日神社(黒須)の由緒
(黒須村附新田)
春日社
當村の鎮守にして、例祭九月十九日、村内蓮華院持。
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氷川社
天王社
白山社
愛宕社
稲荷社
以上の社も前と同寺の持。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による春日神社(黒須)の由緒
当春日神社の由緒は詳らかではないが古くからの言い伝えによると元仁元年甲申八月(一二二四年)大和の国(奈良県)春日大社より勧請され、その後宝暦二年壬申(一七五二年)に御社殿再建されたと伝えられる。昔は産土神として崇められ明治二年の太政官布告令により神仏分離が行われ、明治五年に指定村社に列せられた。当神社は元は西山の地(現所在地の西方数百メートル)の古木蒼然とした森の中に在ったが明治五年に、この地(黒須村字久保田七七三番地)移築され、その後、明治四十五年に、稲荷神社(字秋津より)氷川神社(字久保田)愛宕神社(字沓切場)白山社、八雲神社(字後)から併合、合祀されて黒須の鎮守として篤い崇敬を集めて来たものです。(境内掲示より)
「埼玉の神社」による春日神社(黒須)の由緒
春日神社<入間市春日町一-六-三(黒須字久保田)>
当地は市の北部、入間川と霞川に挟まれた台地にあり、洲に鵜がたくさんいたために黒くみえたためとか、砂鉄が採れたところが黒くみえたことなどから黒須の名がつけられたと伝えられる。
『明細帳』に「古老ノ伝ニ元仁元年甲子ノ八月(九月か)大和国春日神社ヲ分祀スト云フ」とあり、『風土記稿』に「春日社 当村の鎮守にして、例祭九月十九日、村内蓮華院持」とあり、真言宗世音山蓮華院妙智寺が管理にあたっていた。蓮華院の開山は、建仁元年六月、歌僧で知られる寂蓮によるとされる。寂蓮は俗名を藤原定長と称し、春日神社は、藤原一門の氏神であることから、当社創建にかかわるとも考えられる。また、宝暦二年の再建を伝えるが実証資料を失なっている。
当社は、黒須の西北隅にあたる字西山に鎮座していたが、明治六年の地租改正により、県有地であった西山は私有地となったため、氷川神社が奉祀されていた現在地に移転した。同時に氷川神社は当社へ合祀されたものと推測される。
大正二年には、字秋津の稲荷神社、字前の稲荷神社、字沓切場の愛宕神社、字後ろの白山神社・八雲神社を合祀した。
境内には昭和二九年建立の戦没者を祀った護国神社がある。(「埼玉の神社」より)
春日神社(黒須)所蔵の文化財
- 春日神社本殿付棟札(入間市指定有形文化財)
春日神社本殿付棟札
総桧造の本殿は、形式が母屋に向拝、浜床のついた一間社流造、屋根は板葺きとなっている。組物や棰など各部材の形状や配置などに、江戸時代の正規の手法に則った設計がみられ、技法的には本格の神社建築である。また、部材に花鳥霊獣の彫刻が施され、様式・意匠的に見て江戸時代中期から後期頃の神社建築の特徴をよく残している。
この本殿には、宝暦十四年(一七六四)の再建を記す棟札が残っており、建築年代を裏づける資料となっている。なお、棟札に記されている高麗郡長形村(現在の飯能市永田)の大工・細田源左衛門は、円照寺北向不動堂(市指定有形文化財)も手掛けており、両者には装飾細部の意匠に共通性も見られる。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)
春日神社(黒須)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿