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蓮花院。入間市春日町にある真言宗智山派寺院

蓮花院の概要

真言宗智山派寺院の蓮花院は、世音山妙智寺と号します。蓮花院は、歌人としても著名な寂蓮法師(藤原定長)が、建仁元年(1201)に開山、覺常(萬治元年1658年寂)が中興したといいます。当寺の観音堂は養老年間(717-724)の創祀だといい、堂宇は市有形文化財、観音像は武蔵野三十三観音霊場18番です。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所74、76番です。

蓮花院
蓮花院の概要
山号 世音山
院号 蓮花院
寺号 妙智寺
住所 入間市春日町2-9-1
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



蓮花院の縁起

蓮花院は、歌人としても著名な寂蓮法師(藤原定長)が、建仁元年(1201)に開山、覺常(萬治元年1658年寂)が中興したといいます。当寺の観音堂は養老年間(717-724)の創祀だといい、堂宇は市有形文化財、観音像は武蔵野三十三観音霊場18番です。

新編武蔵風土記稿による蓮花院の縁起

(黒須村附新田)蓮華院
新義真言宗、高麗郡新堀村聖天院末、世音山妙智寺と號す、境内観音堂料として、十一石の御朱印を慶安中に賜はれり、開山寂蓮と云、示寂の年歴詳ならず、中興開山覺常は萬治元年十一月朔日寂せり、本尊不動を安ず、本堂に撞鐘一口をかく、貞享二年の鐘にて銘文なし。
観音堂。本尊千手観音の立像にて、長三尺、定朝の作、相傳ふ此観音堂は養老年中の起立にて其頃の本尊は行基菩薩の作にて、堂も今より廣かりしが、星霜をへて永禄十一年祝融の災に罹りしより、今の如小堂となれりと、鰐口あり、其圖右の如し、按に此鰐口の銘文によれば、比企郡千手堂村千手堂のものなるべけれど、爰に持来りしゆえんは知らず。
辨天社。天神社。
寺寶
心經一巻
この經は弘法大師の眞筆にて、そのかみ尊氏将軍當寺本尊を信仰の餘寄附せられしと云、されど墨色等當時のものとはみえず。(新編武蔵風土記稿より)


蓮花院所蔵の文化財

  • 蓮花院観音堂付勧進帳(入間市指定有形文化財)
  • 蓮花院の鰐口(入間市指定有形文化財)
  • 彰義隊遭難者の碑付地蔵(入間市指定文化財)

蓮花院観音堂付勧進帳

蓮花院は、鎌倉時代のはじめに歌人としても知られた寂蓮法師が開いたと伝えられている黒須の名刹である。寺の記録によると、現在の観音堂は天保六年(一八三五)に再建されたもので、桁行三間梁間四間総けやき、寄棟造り桟瓦葺きの堅固で大規模な建造物である。虹梁や欄間に見られる彫刻は精巧なものであり、内陣の格天井には格間一六五枚に江野梅青(東松山市出身)の手になる花鳥の色彩絵が描かれている。画題は花鳥六八点、花木七九点、鳥一八点で、それぞれに寄進した当地黒須の人々の名前一五〇余人が墨書されている。また、須弥壇両脇の天井に描かれた飛天の天井絵は梅青の養父江野楳雪(東松山市出身)の手になるものであり、外陣の鏡天井に描かれた龍は市内宮寺出身の画家吉川緑峰の筆になるものである。
勧進帳は、「観音堂再建勧化牒」と題され、その序文に蓮花院の縁起と観音堂再建発願の主旨を記している。天保四癸巳年十二月二十三日に発願されたものであり、願主現住隆光、隠居隆寶、世話人繁田武兵衛他四人、組頭水村夘兵衛他五人のほか寄付者の名前が多数記されている。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)

蓮花院の鰐口

蓮花院の鰐口は直径約三十八センチメートル、厚さ約十センチメートル、重さ約五・二五キログラム、古色をおび重量感にあふれた室町中期(寛正二年・一四六一年)の作品である。この鰐口の表裏には銘文が刻まれており、これによると釜形四郎五郎が小用村(比企郡鳩山町)の鋳物師松本に造らせ、比企郡の千手堂に奉納したものらしい。
蓮花院伝来の理由は定かではなく、『新編武蔵風土記稿』の黒須村の項にも鰐口の所在について「比企郡千手堂村(現比企郡嵐山町千手堂)にある千手堂のものなるべけれどここに持ち来りしゆえんは知らず」と記している。かつて蓮花院の付近にあった真観寺の井戸から引き上げられたという伝承が残っている。
[銘文](表)
奉施入武州比企郡千手堂
鰐口大工越 松本
仮称二年辛巳十月十七日
願主釜形 四郎五郎敬白
(裏)
妙阿
榮満(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)

彰義隊遭難者の碑付地蔵

この地蔵は、扇町屋で起きた彰義隊士殺害事件の後、村人が隊士たちを供養するために建立したものである。
当初は、県立豊岡高等学校正門付近に建っていたが、道路拡幅工事など度重なる移転の末、今は当蓮花院に他の無縁仏とともに安置されている。
台石には正面に「北 くろすみち」、右面に「西町屋道」、左面に「東いりま川道 かわこえ道」、裏面に「南 とうきょう道」と刻まれており、当時の道標を兼ねていたことが分かる。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)

蓮花院の周辺図


参考資料
  • 新編武蔵風土記稿