稲荷神社(根岸)。豊泉左近将監が創建
稲荷神社(根岸)の概要
稲荷神社(根岸)は、入間市根岸にある稲荷神社(根岸)です。稲荷神社(根岸)は、豊泉左近将監が天文元年に村の乾(北西)に豊泉寺を建立、巽(南東)に当神社を祀ったといいます。その後、小谷田村附新田(根岸新田)の鎮守社として祀られ、明治5年村社に列格、明治12年愛宕社・山王社を合祀しています。
社号 | 稲荷神社 |
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祭神 | 倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | - |
住所 | 入間市根岸446、根岸公民館向かい |
備考 | 旧村社 |
稲荷神社(根岸)の由緒
稲荷神社(根岸)は、豊泉左近将監が天文元年に村の乾(北西)に豊泉寺を建立、巽(南東)に当神社を祀ったといいます。その後、小谷田村附新田(根岸新田)の鎮守社として祀られ、明治5年村社に列格、明治12年愛宕社・山王社を合祀しています。
新編武蔵風土記稿による稲荷神社(根岸)の由緒
(小谷田村附新田)
稲荷社
當社及び中神村三輪明神を村内の鎮守とせり。
山王社
愛宕社
以上三社共に村持なり(新編武蔵風土記稿より)
「埼玉の神社」による稲荷神社(根岸)の由緒
稲荷神社<入間市根岸四四六(根岸字沢田)>
鎮座地根岸は、霞川流域の低地・台地・丘陵に位置する。
社記によると、小田原北条氏の家臣、豊泉左近将監が当地に隠れ、天文三年まで居住したと伝え、天文元年に村の乾(北西)に豊泉寺を建立し、巽(南東)に当神社を祀ったという。即ち、当社は、古くは左近の屋敷鎮守だったものが、後年に村鎮守となったものである。神社は小高い丘の上にあり、昔、社の下にほら穴があり、左近の隠れ穴だと伝えていた。なお、現在、当地には左近の子孫といわれる豊泉家がある。
祭神は倉稲魂命であり、明治五年に村社となった。同一一年には拝殿を新築し、棟札が残る。同一二年には神社裏の字深山にあった愛宕社(軻遇突智命)と山王社(大山咋命)を合祀し、このため同一三年に現在ある三間社一棟の本殿を新築した。この本殿は、三社が合祀されているため、以後三宝殿と称されるようになった。
『明細帳』には明治四二年に愛宕社を合祀したとあるが、これは当時の神社合祀政策により届けを出した年代で、実際は明治一二年の神社整理により、合祀は済んでいたという。昭和四〇年、覆屋・拝殿を新築し、更に京都伏見稲荷大社から分霊を請け、社殿落成とともに祀り込みを行い、村の神社と仰がれ、現在に至っている。(「埼玉の神社」より)
稲荷神社(根岸)の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿