禅龍寺。狭山市広瀬にある曹洞宗寺院

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禅龍寺。鎌倉時代に広大な寺領を有した寺院

禅龍寺の概要

曹洞宗寺院の禅龍寺は、萬壽山と号します。禅龍寺の創建年代等は不詳ながら、かつては尼寺で鎌倉時代には1000石の寺領を有していて、鎌倉東慶寺もこの寺より移したものだといいます。玉岫璘公尼(明応9年1500年寂)が開山、花巌文説が曹洞宗寺院として中興開山したといいます。

禅龍寺
禅龍寺の概要
山号 萬壽山
院号 -
寺号 禅龍寺
住所 狭山市広瀬2-20-1
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



禅龍寺の縁起

禅龍寺の創建年代等は不詳ながら、かつては尼寺で鎌倉時代には1000石の寺領を有していて、鎌倉東慶寺もこの寺より移したものだといいます。玉岫璘公尼(明応9年1500年寂)が開山、花巌文説が曹洞宗寺院として中興開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による禅龍寺の縁起

(上廣瀬村)禅龍寺
萬壽山と號す、入間郡金子村瑞泉寺末なり、本尊千手観音木の坐像長九寸二分、運慶の作、四天長一寸九分、地蔵長一尺二寸、各木像にして同作なり、開山は玉岫璘公尼明應九年庚申十月十八日寂す、花巌文説を中興開山とす、天正九辛巳年八月十二日寂す、傳へ云當寺は往古尼寺にて、鎌倉全盛の頃は千石を領せしといふ、今の鎌倉松ケ岡尼寺もこの寺を移せしよし、天正年中文説以後、今の宗派になりし所以は詳ならず。
鍾樓。享保年間鑄造の鐘を架す。
観音堂
金毘羅社
白山社(新編武蔵風土記稿より)


禅龍寺所蔵の文化財

  • 木造千手観世音菩薩坐像(狭山市指定文化財)

木造千手観世音菩薩坐像

この像は、当寺所属観音堂の本尊である。
千手観世音は、正しくは千手千眼自在菩薩といい、千本の手をもち、その手にそれぞれ一眼を備え、慈悲のはたらきが無限であることをあらわす仏である。
たいていは教理的に簡略化され、要約した四十二臂に造られた像が多く、一手がよく二十五有世界の衆生を救うとされ、四十手に二十五を乗じて千手と考え造像される。
この像も十一面で四十二臂の千手観世音菩薩で、顔立ちは鼻が高くインド人的である。頭上にある十面は、正面に聖観音の立像を、中央頂上に少し大きめな如来の頭部、他に八つの菩薩頭部を配している。
光背は、舟形光背で、唐草の透かし彫りの中に十一面の円光が付けられている。台座は華盤が大きく反り、蓮弁が一枚ごとに彫刻され、精巧である。制作は室町末期か江戸初期と推定される。
なお、本像はこの寺が尼寺であった時の本尊であったが、故あって鎌倉東慶寺に移されていたので、野島片岡両氏が奉遷したと伝えられている。(境内掲示より)

禅龍寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿