常泉寺観音堂。狭山市北入曽にある真言宗智山派寺院

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常泉寺観音堂。移転する前の常泉寺地

常泉寺観音堂の概要

真言宗智山派寺院の常泉寺観音堂は、蔵王山常泉寺の境外仏堂です。常泉寺観音堂は、建仁2年(1202)の創建と伝えられ、常泉寺も元禄2年(1689)に現在地へ移転するまでは当地にあったといいます。

常泉寺観音堂
常泉寺観音堂の概要
山号 蔵王山
院号 観音院
寺号 常泉寺
住所 狭山市北入曽1366
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



常泉寺観音堂の縁起

常泉寺観音堂は、建仁2年(1202)の創建と伝えられ、常泉寺も元禄2年(1689)に現在地へ移転するまでは当地にあったといいます。

新編武蔵風土記稿による常泉寺観音堂の縁起

(北入曽村附新田)観音堂
坐身の正観音を安置す、常泉寺持、この堂の後に土人七曲井と云廣き穴あり、その形螺の如にして、次第に巡り下りて水際に至る、相傳へて上古の堀金井の跡なりといへど、是は既に南入曽村にも辨ぜし如く、堀金村の井をもて實跡となすべきか、七曲井の餘比丘尼井など云古井の跡村内に三所ありて、何れをも堀金井の舊跡なりと唱へり。(新編武蔵風土記稿より)

埼玉県・狭山市掲示による常泉寺観音堂の縁起

常泉寺の観音堂
観音堂の創立は、建仁二年(一二〇二)と言い伝えられている。
その後文保二年(一三一八)の旱魃の際に、村人が観世音に祈り古井をさらったところ、たちまち水が吹き出したと伝えられる。
本尊は、木造聖観世音菩薩坐像で、江戸時代後期の河越住仏師大覚の作であり、堂宇は宝永五年(一七〇八)の再建である。
毎年一月十一日の観音様のお祭りには、かつては、五色の布や鈴、新しい鞍や腹掛けをつけた牛馬が、お堂のまわりを回り、賑やかな祭りだったと言われている。
不老川
この川は、入間市宮寺付近に源を発し、野水を集めながら堀兼を通り、川越市で新河岸川に注いでいる。
地質的には、古多摩川の名残り川であるといわれている。
現在では、一年中水が流れているが、昔は、毎年冬期になると必ず水が涸れ、「としとらず川」と言われ、「節分の夜、不老川の橋の下にいると年をとらない」との伝説がある。(埼玉県・狭山市掲示より)


常泉寺観音堂所蔵の文化財

  • 木造聖観世音菩薩坐像(市指定文化財)

木造聖観世音菩薩坐像

木造聖観世音菩薩坐像は、常泉寺所属の観音堂の本尊として祀られているものです。その昔、大干ばつがあり、水に困った人々が観世音菩薩に祈って七曲井をさらったところ、たちまち清水が湧きだしたという故事があり、観世音菩薩は、七曲井の守り菩薩となり、今も崇敬されています。なお、常泉寺も元はこの地にありましたが、元禄二年(一六八九)に観音堂を残し現在地に移転したと記録に残っています。
この像の正確な制作時期はわかりませんが、台座裏の墨書きに「川越彫佛師 大覚 現住 隆寛代」と記されており、隆寛は常泉寺の住職で、安永五年(一七七六)ごろから没年の文政二年(一八一九)まで寺に勤めていたため、その期間に川越の彫仏師である大覚という人物によって作られたと考えられています。
像容は、頭上に宝冠を戴き左手で未開蓮華を持ち、右手をあげています。宝冠は鍍金の透かし彫り金具です。顔立ちは端正で、端座の足を被う裳裾のひだもよく捉え、全体に均整がとれています。(狭山市教育委員会・狭山市文化財保護審議会掲示より)

常泉寺観音堂の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿