観音寺。入間市西三ツ木にある真言宗寺院
観音寺の概要
真言宗寺院の観音寺は、龍池山と号します。観音寺の創建年代等は不詳ながら、古くより村人の帰依を受けてきたといいます。明治維新に伴い廃寺となり、寺地は西三ツ木公会堂となったといいます。
山号 | 龍池山 |
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院号 | - |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 入間市西三ツ木56 |
宗派 | 真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺の創建年代等は不詳ながら、古くより村人の帰依を受けてきたといいます。明治維新に伴い廃寺となり、寺地は西三ツ木公会堂となったといいます。
新編武蔵風土記稿による観音寺の縁起
(三木村附新田)
観音寺
新義真言宗、多磨郡鹽船邑鹽船寺の末、龍池山と號す。
辨天社。
地蔵堂。(新編武蔵風土記稿より)
境内掲示による観音寺の縁起
龍池山観音寺は現在の西三ツ木公会堂敷地に建立され、創建の年代は不明であるが古くより三ツ木村人達の帰依篤く、徳川時代の末期まで代々にわたり守られて来た。
寺域の一部に村人及び住職の墓地を建立し、又一部は東武蔵野の南端にあったが、共に徳川中期に桂の里に共同墓地を造成して移転し現在に至っている。
寺の西側に天池(祭神辨天様)と日切地蔵堂があった。(境内掲示より)
観音寺所蔵の文化財
- 百万遍念仏数珠一式(市指定有形文化財)
- 西三ツ木ばやし(市指定無形民俗文化財)
百万遍念仏数珠一式
江戸中期から明治時代まで、当地にあった観音寺の檀家の人々によって続けられた百万遍念仏供養に使われた数珠を中心とした用具一式である。全長十二メートルの大数珠を輪になって念仏を唱えながらたぐるもので、念仏の回数を千遍、万遍と書いた木札と享保二年(一七一七年)三ツ木村中の銘のある鉦と木箱が保存されている。
今はこの行事は行われていないが、かつては地区の人が亡くなった時に、主として女の人によって行われていたもので、その頃の信仰を物語る貴重なものである。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)
西三ツ木ばやし
西三ツ木ばやしは、その起源は不明であるが、すでに明治時代の初めには盛んに行われていた祭り屋台囃子である。
流派等の詳細は不明であるが、江戸系統の祭り囃子とされる。伝承によると、江戸時代に神田流の囃子であったものが、明治時代初期に相模地方の祭り囃子と交流する中で、二つの流派の囃子を合わせた独自の囃子が完成したとのことである。
囃子は、毎年四月の金子神社の祭礼で演奏される。金子神社の祭礼は、江戸時代に天王様と呼ばれる夏祭りであったものが、農繁期に当たるため昭和三〇年頃から現在の四月に行われるようになった。そのため天王様を祭るための祇園囃子も併せて伝えられている。(入間市教育委員会・入間市文化財保護審議委員会掲示より)
観音寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿