西蓮寺。徳川家康秀忠家光三代将軍が好んだ当寺の水
西蓮寺の概要
浄土宗寺院の西蓮寺は、妙好山葵華院と号します。西蓮寺は、宗誉(元亀元年1570年寂)が開山となり、天文15年(1546)創建したといいます。徳川家康秀忠家光の三代将軍が当寺の水を気に入り、御殿寺や御茶屋寺と称する様に指示され、また当寺内神明宮の建立を命じて維持費の寄附を受けたといいます。江戸期には、市内専稱寺、立正寺、来迎寺の3ヶ寺を末寺に擁する小本寺格の寺院でした。
山号 | 妙好山 |
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院号 | 葵華院 |
寺号 | 西蓮寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 八潮市二丁目1490 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西蓮寺の縁起
西蓮寺は、宗誉(元亀元年1570年寂)が開山となり、天文15年(1546)創建したといいます。徳川家康秀忠家光の三代将軍が当寺の水を気に入り、御殿寺や御茶屋寺と称する様に指示され、また当寺内神明宮の建立を命じて維持費の寄附を受けたといいます。江戸期には、市内専稱寺、立正寺、来迎寺の3ヶ寺を末寺に擁する小本寺格の寺院でした。
新編武蔵風土記稿による西蓮寺の縁起
(二町目村)西蓮寺
浄土宗、下総國小金東漸寺末、妙好山葵華院と號す、本尊は阿弥陀を安置せり、開山宗誉元亀元年示寂す。
辨天社(新編武蔵風土記稿より)
「松戸市史史料編(六)東漸寺史」による西蓮寺の縁起
武州埼玉郡八條領二丁目村
芳明山西蓮寺
創建者人皇百六代後奈良院御宇天文十辛丑年也、至今文政三庚辰歴二百八十年也、起立由来及以開基檀主之有無等未詳、創建以来転地並ニ再建次第更不知也
本堂南八間向七間半
厩舎南十九間向六間
神明宮壱社
御井戸水壱箇所
神君公慶長年間、台徳院元和年間、大猷君寛永年間
右三大君毎ニ在、成御於当所、被為在寄、御于当寺此井水殊被為在、褒賞於越ヶ谷御殿、亦以此井水奉備、上用由往古以来申伝之依之当時残其名指於当寺御殿寺或、御茶屋寺申習于今者也、且茅野壱町余、御除地於寄附於茲新建神明宮壱社奉祈天下安全御武運長久祭典法楽于今無怠転者也
御料所御代官大岡源右衛門殿支配と頃
御朱印並下馬札禁札之類都無之事
御除地境内壱町余
同神明社地田畑合壱町五反九畝二拾三歩
御年貢地田畑合三拾四石四斗弐升九合壱勺
開山並歴代事略
開山頓蓮社宗誉 元亀元庚午年九月十三日
生国氏族掛錫附法等ノ次第不相識也因名不知、自創建三十余年ノ後元亀元庚午年九月十三日遷寂于当寺也(「松戸市史史料編(六)東漸寺史」より)
西蓮寺の周辺図