専稱寺。八潮市南川崎にある浄土宗寺院
専稱寺の概要
浄土宗寺院の専稱寺は、信明山阿弥陀院と号します。専稱寺は、乗誉(元和8年1622年寂)が慶長5年(1600)創建したといいます。当寺には、弥陀庚申塔・円空作木造愛染明王座像が所蔵されています。
山号 | 信明山 |
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院号 | 阿弥陀院 |
寺号 | 専稱寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 八潮市南川崎870 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
専稱寺の縁起
専稱寺は、乗誉(元和8年1622年寂)が慶長5年(1600)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による専稱寺の縁起
(川崎村)専稱寺
浄土宗、二町目村西蓮寺末、信明山阿弥陀院と號す、本尊阿弥陀を安ぜり、開山乗誉元和八年十一月十一日寂す。(新編武蔵風土記稿より)
八潮市教育委員会掲示による専稱寺の縁起
専稱寺は、近世初頭に開かれた浄土宗の寺院で、開山乗誉は、元和八年(一六二二)に示寂している。当寺には、藤原期の聖観音像・寛文九年(一六六九)の弥陀庚申塔・円空作木造愛染明王座像・宝永年間(一七〇四-一七一一)の十王図掛軸などの寺什がある。(八潮市教育委員会掲示より)
「松戸市史史料編(六)東漸寺史」による専稱寺の縁起
同国同郡同領(武蔵国埼玉郡八條領)同支配所西蓮寺末
専彌寺
創立者元和二年之頃申伝開基施主之有無起立ノ由来等不相知也
本堂南六間向五間半
厩舎南三間半向六間半
御除地境内壱反五畝余
寺附地面五反余
開山並歴代事略
開山蓮号因名等不相知乗譽元和八戌年十一月十一日(「松戸市史史料編(六)東漸寺史」より)
専稱寺所蔵の文化財
- 弥陀庚申塔
- 円空作木造愛染明王座像
弥陀庚申塔
弥陀庚申塔
庚申信仰は、平安時代に伝わった中国道教の思想で、人体に寄生した三尸の虫が、庚申の夜(六〇日ごと)に人々が寝ている間に天帝にその人の罪を告げ、告げられた人は早死するため、その日は身を謹み夜明かしするというもので、無事にすんだ証として庚申塔が造立された。八潮市域の庚申塔では、井草円蔵院の寛永十六年(一六三九)の二十一仏童子の板碑形庚申塔が最古である。元禄期(一六八八-一七〇四)頃になると、六臂青面金剛像に日月・二鶏・三猿を付加するものが基本的な形となるが、専稱寺の弥陀庚申塔は、二十一仏種子お板碑形から三面六臂青面金剛像に定形化する過渡期の庚申塔である。また当地方の弥陀庚申塔では、弥陀彫形像の最高(約二五六センチメートル)の石像仏であり、三猿が刻まれた庚申塔としては市域の最古の石塔で、近世期の庶民の庚申信仰の発展を理解する手掛かりとなっている。(八潮市教育委員会掲示より)
円空作木造愛染明王座像
円空作木造愛染明王座像
円空は、江戸時代前期の修験僧で美濃国(岐阜県)に寛永九年(一六三二)に生まれ、近江円城寺の行場大峯山などで修行をした。十二万軀の造像を祈願して全国を行脚し、寛文五年(一六六五)からの北海道・東北巡錫の帰途、専稱寺に立ち寄り、愛染明王を造像したものと推測される。専稱寺の円空仏は、円空の作品では数少ない愛染明王像の一つで、木目細かい鉈彫りが特徴となっている。(八潮市教育委員会掲示より)
専稱寺の周辺図