薬王寺。三覚院に移管され廃寺
薬王寺の概要
真言宗豊山派寺院の薬王寺は、妙見山と号します。薬王寺は、当地より北の外郭環状道路付近に慶長年間に創建したといいます。明治42年三覚院に移管され廃寺となったといいます。
山号 | 妙見山 |
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院号 | - |
寺号 | 薬王寺 |
本尊 | - |
住所 | 草加市青柳2-27-43青柳志茂会館 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
薬王寺の縁起
薬王寺は、当地より北の外郭環状道路付近に慶長年間に創建したといいます。明治42年三覚院に移管され廃寺となったといいます。
新編武蔵風土記稿による薬王寺の縁起
(青柳村)薬王寺
同末(柿木村東漸院末)なり、本尊薬師を安ず(新編武蔵風土記稿より)
境内石碑による薬王寺の縁起
妙見山薬王寺跡
所在武蔵國南埼玉郡南青柳村字妙見
由緒本尊薬師如来木彫立像
柿ノ木村東漸院の門徒寺にしてその創建は慶長年間と伝えられる、古老の話に図ると大きなお堂があり、境内も広く近郷近在はもとより江戸、流山方面から参詣に来る人もあり、特に賑の病には湧出する井戸水によって治る人多く霊験あらたかなる寺として有名であった由である。明治四十二年政府の寺合併策により青柳村三覚院に移管され本尊薬師如来、三尊、その他は三覚院に現存する。お堂は「やくさま」として志茂地区の人々に愛され念佛講や三峯、榛名、古峯、大山等各種講事やいろいろな寄合の場としてしたしまれて来たが茅葺きの大きな堂であった為維持困難となり昭和四十二年解体され二十一坪の小集会所となった。平成二年外郭環状道路の通過に伴い移転のやむなきに至る。当地にとって先祖代々永年に亘る心のよりどころであり唯一の名跡であることを識し後世に伝えるものである。(境内石碑より)
薬王寺の周辺図