番匠岩渕神社。比企郡ときがわ町番匠の神社

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番匠岩渕神社。建久年間創建の伝承

番匠岩渕神社の概要

番匠岩渕神社は、比企郡ときがわ町番匠にある神社です。番匠岩渕神社の創建年代等は不詳ながら、氏子の所蔵する貞享5年(1688)の古文書に「八百五十年以前より有来新地ニ市者無御座侯」と記載されていることから、番匠八幡神社同様古くより祀られ、江戸時代中期に再建されたのではないかといいます。

番匠岩渕神社
番匠岩渕神社の概要
社号 岩渕神社
祭神 天鈿目命
相殿 -
境内社 宝登山神社、稲荷神社・日枝神社・八幡神社・雷電神社・三峰神社
祭日 春例祭3月15日直近の日曜日、秋例祭10月9日直近の日曜日
住所 比企郡ときがわ町番匠426-1
備考 -



番匠岩渕神社の由緒

番匠岩渕神社の創建年代等は不詳ながら、氏子の所蔵する貞享5年(1688)の古文書に「八百五十年以前より有来新地ニ市者無御座侯」と記載されていることから、番匠八幡神社同様古くより祀られ、江戸時代中期に再建されたのではないかといいます。

新編武蔵風土記稿による番匠岩渕神社の由緒

(番匠村)
岩淵明神社
祭神詳ならず、岩淵と稱するは、其社都幾川の岸に臨める故なるべし、醫光寺持、
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醫光寺
新義眞言宗、入間郡今市村法恩寺末、都幾山と號す、開山朝秀若年詳ならず、中興開山を院當と云、承應二年寂せり、本尊不動を安ず、 (新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による番匠岩渕神社の由緒

岩淵神社<都幾川村番匠四二六(番匠字石河原)>
番匠は、都幾川上流の山間に位置する。この辺りは、東流する都幾川によってできた谷の末端に当たり、川に沿って畑や水田が広がる。その都幾川が東から北へとほぼ直角に流れを変える所に、明神淵と呼ばれる大きな淵が形成されており、当社はその淵の崖上に祀られている。かつては、この淵に臨んで樹齢五〇〇年といわれる大きな杉が茂っていたが、伊勢湾台風で倒れてしまった。
当社は、江戸時代の中期に創建されたと伝えられるが、氏子の正木家が所蔵する貞享五年(一六八八)の古文書には、当社と医光寺はいずれも「八百五十年以前より有来新地ニ市者無御座侯」と記されていることからみて、「江戸時代の中期に創建」というのは「再建」を誤って伝えたものではないかと思われる。ちなみに、医光寺は都幾山と号する真言宗の寺院で、当社は医光寺の持ちとなっていたが、神仏分離の後は廃寺となった。
本殿には、衣冠束帯の男神像と岩窟をかたどった厨子に入った女神像各一体、が納められている。女神像は、古くから当社の神体として祀られてきたものであるが、男神像は、昔(明治か大正のころのことらしい)、女神像が盗難に遭った時、新しく神体として作ったもので、比較的新しい。ところが、盗まれた女神像は知らぬ間に神社に戻されていたため、以来、二体の神像は一緒に祀られるようになった。(「埼玉の神社」より)


番匠岩渕神社の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)