玉川今宮神社。比企郡ときがわ町玉川の神社

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玉川今宮神社。松山城主上田又次郎が創建

玉川今宮神社の概要

玉川今宮神社は、比企郡ときがわ町玉川にある神社です。玉川今宮神社は、天文2年(1533)に松山城主上田又次郎が玉川領に陣屋を設けた際、玉川の川北に雷電社・川南に当社を創建したといいます。江戸期は龍蔵寺持ちの社として祀られ(当社の両脇は龍蔵寺墓地)ていました。大正3年に川北の雷電社(大雷命)を合祀、昭和18年に村社に列格していました。

玉川今宮神社
玉川今宮神社の概要
社号 今宮神社
祭神 誉田別命、大雷命
相殿 -
境内社 猿田彦大神
祭日 八坂祭7月20・21日、例大祭10月9日
住所 比企郡ときがわ町玉川1107
備考 -



玉川今宮神社の由緒

玉川今宮神社は、天文2年(1533)に松山城主上田又次郎が玉川領に陣屋を設けた際、玉川の川北に雷電社・川南に当社を創建したといいます。江戸期は龍蔵寺持ちの社として祀られ(当社の両脇は龍蔵寺墓地)ていました。大正3年に川北の雷電社(大雷命)を合祀、昭和18年に村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による玉川今宮神社の由緒

(玉川郷)
龍蔵寺
水月山と號す、前と同寺の末なり(入間郡龍ヶ谷村龍穏寺末)、本尊釋迦を安ず、外に正觀音の像一軀あり、安阿彌の作と云、開山本寺十六世の住僧鶴峯聚孫なり、寛永三年寂す、
今宮權現社
神明社
雷電社(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による玉川今宮神社の由緒

今宮神社<玉川村玉川一一〇七(玉川字伊勢ノ宮)>村社
玉川村の中心地である大字玉川は、近世には玉川郷と呼ばれ、天正十八年(一五九〇)から宝永七年(一七一〇)までは徳川家の直轄地であった。当社は、その一角である一ト市に鎮座し『風土記稿』の玉川郷の項にも「今宮権現社」としてその名が見える。
社伝によれば当社は、天文二年(一五三三)に松山城主上田又次郎が玉川領に陣屋を設けた際、当村において戦勝祈願をするため、郷内の川北(字宮谷戸)に雷電社、川南(字伊勢ノ台)に今宮権現社を勧請したことに始まるという。この両社は共に曹洞宗龍蔵寺の持ちで、松山城主の尊崇厚く、庶民の崇敬もまた厚かったと伝えられる。
明治十五年三一月十七日の玉川村付近五か村の大火災のため、当社も焼失し、同十八年に再建された。また、大正三年十一月二日には、川北の雷電社が政府の合祀政策に従って合祀された。当社の鎮座地である一ト市は、村内でも勢力が強かったため、だれもが「今宮様は村社になるのが当たり前」と考え、村社としての届け出をしなかった。そのため社格が制定されて以来、無格社のままであった。氏子たちは「申請さえすれば村社になるはずなのに」と残念に思っていたが、ついに昭和三年、秩父市に鎮座する今宮神社の宮司の助力を得て、設備を整え、村社昇格願を提出する運びとなり、ようやく昭和十八年に村社になった。(「埼玉の神社」より)


玉川今宮神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)