玉川春日神社。比企郡ときがわ町玉川の神社

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玉川春日神社。藤原盛吉が創建

玉川春日神社の概要

玉川春日神社は、比企郡ときがわ町玉川にある神社です。玉川春日神社は、正平2年(1374)当地に館を構えた藤原盛吉が、龍福寺とともに熊野権現・辨財天・当社を創建したと伝えられます。その後慈眼寺を開基した玉川郷御陣屋の先祖寿昌院が社殿を建立、慶安2年(1649)には社領5石1斗の御朱印状を受領していました。明治45年に字細谷愛宕神社と字地家熊野社を合祀、大正5年(1916)には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。

玉川春日神社
玉川春日神社の概要
社号 春日神社
祭神 武甕槌命、天児屋根命、経津主命、迦具土命、伊弉再尊、速玉男命、事解男命
相殿 -
境内社 天神社
祭日 例大祭10月9日
住所 比企郡ときがわ町玉川4015
備考 -



玉川春日神社の由緒

玉川春日神社は、当地に館を構えた藤原盛吉が龍福寺とともに正平2年(1374)に熊野権現・辨財天・当社を創建したとも、慈眼寺を開基した玉川郷御陣屋の先祖寿昌院が貞和3年(1347)社殿を建立したとも伝えられます。慶安2年(1649)には社領5石1斗の御朱印状を受領していました。明治45年に字細谷愛宕神社と字地家熊野社を合祀、大正5年(1916)には神饌幣帛料供進神社に指定されていました。

境内石碑による玉川春日神社の由緒

当社の創立は、第九十七代後村上天皇の正平二年(北朝光明天皇の貞和三年(西暦一三七四))、字堀の内に館を構え、龍福寺を建立した藤原盛吉が、奈良の春日明神を勧請したと伝え、慈眼寺の開基玉川郷御陣屋の先祖寿昌院が社殿を建立し、江戸時代慶安二年(一六四九)徳川幕府より社領五石一斗の朱印を賜った。元禄五年(一六九三)、江戸神田明神式年遷宮の際、その旧本殿の用材を拝戴して社殿を修建し明治四十五年(一九一二)字細山の愛宕社、字地家の熊野社を合祀した。代々慈眼寺が別当として之を管掌したが明治初年の神佛分離の政令により今日に至り、また大正五年(一九一六)神饌幣帛指定村社に指定された。
本殿は、間口奥行各一間(一・八メートル)流れ造り杮葺向拝付、拝殿は、間口三間(五・四メートル)奥行二間半(四・五メートル)切妻造り、これらの上覆は、間口三間半(四・五メートル)奥行六間(一〇・八メートル)切妻造り瓦葺向拝付である。
当社は古来武神として武門の崇敬厚く、戦捷・出征将兵の祈願所として栄え尚武の神事として、毎年十月初九日古式流鏑馬の神賑行事を執行したが、日露戦争の頃馬不足のため休止し、その後これに替えて地方競馬を挙行したが、昭和十年以降休止した。
第二次世界大戦後四十有余年を経て、近時漸く社殿の老朽神域の荒廃が目立つに至ったので、氏子相謀り、春日神社社殿等改修実施委員会を結成してその整備を計ることとし、村内外の有志に資金の寄進を呼びかけ、幸い全員の賛同を得てここにその目的を達成することが出来た。
時あたかも平成元年、玉川村制施行百年に当り、この事業を記念して当社の御由緒を録し、併せて浄財を寄進された人々の氏名を刻して、いよいよ御神徳を敬仰するとともに、その芳志を後世に伝えるために、この碑を建立するものである(境内石碑より)

新編武蔵風土記稿による玉川春日神社の由緒

(玉川郷)
春日社
村の鎮守とす、慶安二年社領五石一斗の御朱印を賜ふ、當社は貞和三年の勧請なりといへど、正き證はなし、社は山上にありて、社前に古松など繁茂せり、麓に少き並木あり、此邊に古木多し、傍を玉壺川流る、其兩岸岩石なるがうへ、川の中にもこゝかしこと、大石さし出たれば、流木これにせかれ、屈曲して流るゝさまなど、社前より望むに尤も勝景と云べし、(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による玉川春日神社の由緒

春日神社<玉川村玉川四〇一五(玉川郷字平)>
玉川は、都幾川及び支流の雀川が山間部から平野部に出る辺りに位置する。地名の由来は『風土記稿』によれば、当社の傍らを流れる雀川を玉壷川ともいい、中略して「玉川」と唱えたことによるという。当社について『風土記稿』は次のように記している。
(中略)
また『明細帳』には「貞和丁亥年当郷古陣屋祖壽昌公之建立」と記されている。古陣屋とは、当社の東方三〇〇Mほどの地にあった館を指すものと思われ、『風土記稿』には「塁跡小名堀ノ内にあり(中略)爰は竜福寺を開基せし藤原盛吉の居蹟なりと云」とある。しかし、「壽昌公」と「藤原盛吉」の来歴については確かな史料が存しないので、明らかではない。
明治四十五年に字細谷の愛宕神社と字地家の熊野社を合祀した。(「埼玉の神社」より)


玉川春日神社の周辺図

参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「埼玉の神社」(埼玉県神社庁)