女人堂。入比板東三十三所観音霊場
女人堂の概要
天台宗寺院の女人堂は、都幾山慈光寺の境外仏堂です。女人堂は、都幾山慈光寺が女人禁制だったことから、観音堂へ参詣できなかった女人のために平安初期に建立されたといいます。入比板東三十三所観音霊場初番です。
山号 | 都幾山 |
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院号 | 一乗法華院 |
寺号 | 慈光寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 比企郡ときがわ町西平 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
女人堂の縁起
女人堂は、都幾山慈光寺が女人禁制だったことから、観音堂へ参詣できなかった女人のために平安初期に建立されたといいます。
境内掲示による女人堂の縁起
「国宝」慈光寺経装飾法華経提婆達多品
(中略)
諸説伝承によると、この女人堂も平安初期において、女人禁制のため、慈光坂途中に建立されていました。女人信仰の御堂として世々、増改築や移設もされ、この地元住民の遠き親達の誠実な祈りと尊き志により護られ維持されてきました。
このたび山頂の慈光寺に伝来する国宝「慈光寺経」の内、金泥文字の剥落はあるもののほぼ完全な姿で伝えられていた「経装飾法華経提婆達多品第十二」を拡大陶窯焼成して、諸衆の祈念に、とりわけ女性の幸せのために掲立しました。(境内掲示より)
新編武蔵風土記稿による女人堂の縁起
(平村)
女人堂
山の上り初の一町にあり、本尊阿彌陀を安ず、(新編武蔵風土記稿より)
「都幾川村史民俗編」による女人堂の縁起
女人堂
『風土記稿』には「山の上り初めの一丁にあり。本尊の阿弥陀を安ず」とある。また。「明細帳』には「本尊千手観音由緒宝永五年(一七〇八)創立、文化三年(一八〇六)正月再建」とある。現在は信徒二六人が管理している。主な年中行事は、百万遍、五月五日の花祭りがある。以前は、産婦のお産に御利益があると底の抜けた「底抜け」を奉納した。入比坂東三十三か所観音札所の第一番である。(「都幾川村史民俗編」より)
女人堂の周辺図