小幡堂。入比板東三十三所観音霊場
小幡堂の概要
寺院の小幡堂は、地域の人達により護持されている堂です。小幡堂の創建年代等は不詳ながら、安永3年(1774)銘・弘化2年(1845)の曼荼羅画に「石場 観音堂」と記されていることから江戸時代中期には石場と呼ばれていた当地に奉安されていたことが確認できます。安政4年(1857)に観音堂が再建された際の文書に「小幡堂」と記載されていることから、この年に小幡堂と称されるようになったものと思われます。入比板東三十三所観音霊場2番です。
山号 | - |
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院号 | - |
寺号 | - |
本尊 | 正観世音菩薩像 |
住所 | 比企郡ときがわ町西平 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
小幡堂の縁起
小幡堂の創建年代等は不詳ながら、安永3年(1774)銘・弘化2年(1845)の曼荼羅画に「石場 観音堂」と記されていることから江戸時代中期には石場と呼ばれていた当地に奉安されていたことが確認できます。安政4年(1857)に観音堂が再建された際の文書に「小幡堂」と記載されていることから、この年に小幡堂と称されるようになったものと思われます。
「都幾川村史民俗編」による小幡堂の縁起
小幡堂
『明細帳』には「本尊正観音由緒不詳」とある。現在慈光寺に保管されている安永三年(一七七四)と弘化二年(一八四五)銘の念仏講中の曼荼羅画には「石場 観音堂」と記されている。「入比坂東三十三か所」巡りが盛んだったころは石場の観音堂と呼ばれていたのかもしれない。また、大野の森田家文書に「安政四年(一八五七)五月小幡堂再建助力金請取 平村 小幡堂 橋組惣代平三郎」と記されている。女カ岩・日尺・細入・池の入りの二八人が堂を管理している。入比坂東三十三か所札所の第二番札所である。(「都幾川村史民俗編」より)
小幡堂の周辺図